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肆 銀樹
男はなんとも屈託のない笑みを浮かべている。男の真意がまるで伺えない。
姿格好からして町人のようであるが、髷は結ってはいない。いくらか猫っ毛気味の髪は、いつの間にか太陽と取って代わって空に浮かんだ月の明かりを受けて、銀色に輝いている。鼻筋が通って眼光は鋭い。それなのに人懐っこさを感じる。
「お前・・・・」
晩秋は男に向かって見定めるかのように目を細める。
「獣臭いな・・・・」
一緒にいる都羽丸にも緊張が走る。しかしそれは晩秋が言ったそれとは別のことでだ。目の前の男は確かに晩秋に向かって”鬼”と言った。晩秋が鬼の姿となり伝衛門誘ったあの空間はこの世とあの世の狭間である。普通の人間が容易く着いてこられるはずはないのだ。しかし、目の前にいる男はあれを見ていたのだ。都羽丸はやたら喉の奥がヒリヒリと乾くのを感じていた。
男はククッと喉の奥で笑うとぴょんと大きく飛び上がり晩秋のすぐ目の前まで来ると自らの腰を折り晩秋の顔を覗き込む。
「なぁ、おめぇおいらと一緒に酒呑まねぇか?」
「は?」
流石の晩秋もあっけにとられている。
「いや、だからさ・・・・酒だよ、酒。一杯やらねぇか?」
「お前は・・・・俺と酒が呑みたいのか?」
「あぁ」
晩秋は少し考えるそぶりをみせたが、すぐに男に向き合うと頷いた。
「いいだろう。行こう」
「さっすが旦那、話がわかるねぇ。ここをちょっと行ったところによぉ、おいらの行きつけの飲み屋があるんでぃ。おいらは新橋で飲むなら大概こそさ。ささっ行こうや」
「ぉおっ、それは興味をそそられるな」
「だろぉ」
早速にも江戸の町を連れだって歩くふたりをみて都羽丸は慌てた。
「いや晩秋様?肝心なところが何も解決してないんですよ?そのような怪しいものと軽々しく酒を呑むなどと何を考えていらっしゃるのですかっ!」
「まぁ呑みながら聞けばいだろ」
「いや、呑む前にせめて何者かくらい聞きましょうよっ!」
晩秋は足を止め面倒そうに都羽丸を見ると小さく息を吐いた。
「こいつが何者であるかはおおよその検討はついている。だからゆっくりと話せる場所が必要なのだ」
「えっ? 何者か・・・・晩秋様はもうおわかりなのですかっ」
きょとんとした都羽丸を見て男は可笑しそうに声をあげて笑った。
「いやぁ~、旦那には参るねぇ。というわけだ、小鬼殿」
「小鬼っ?」
都羽丸は男に警戒心丸出しの視線を向ける。先ほどの逢魔時で姿を変えたのは晩秋だけで都羽丸に変化はなかった。それなのに男は都羽丸に向かって”鬼”だとはっきり言ったのである。
「都羽丸、こやつらは嗅覚が優れている。お前の正体がしれたとてなんの不思議もないぞ」
「そうそう、で?小鬼殿は一緒に来るのか?それとも帰えるのか?」
「いっ行きますよっ!それにその小鬼って呼ぶのやめてもらえますか?そもそも小っ!じゃないですし、某には都羽丸という名があるのですからっ!」
都羽丸は不機嫌を露わにして男を睨みつけるようにして言ったが、男は相変わらずヘラヘラと笑っていた。
男に連れられて来たのは、商家と商家の間の細い道を入ったわかりにくい場所にある料理茶屋だった。暮れ六つを過ぎたと言うのに、店先には男たちで溢れかえっている。人足姿、火消し姿と格好はバラバラなのに男達はみな知り合いのようで、あちこちで賑やかに酒が酌み交わされているようだった。男が暖簾を潜ると女将が笑顔で迎える。
「おや銀さんじゃないか。ここんとこ顔見なかったから、あんたのこと忘れちまうとこだったよぉ」
「いやぁ悪りぃ悪りぃ、ところでよ、奥の部屋あいてるかい?」
「あぁ、ちょうどさっき空いたところさ。行ってておくれよ。すぐ酒をもっていくからさ」
「頼まぁ」
そう言って銀は勝手知ったるこの料理茶屋の奥へと進み襖をあけてふたりを部屋に招き入れた。
「面白い・・・・みな店先で呑んでいたが、このような部屋もあるのだな」
「あぁ、大概おいらも店先で呑むが今夜はちょいとね」
晩秋が珍しそうに部屋を眺めていると、さっそく部屋の真ん中にどかりと座った男が声をあげて笑う。
「さぁ旦那も座りねぇ」
「あぁ」
晩秋が男の向かいに座ると、その隣に未だ不貞腐れ顔の都羽丸がちょこんと腰を下ろした。するとすぐに襖が開き先程の女将が満面の笑みで酒を持ってきた。
「ちょいと銀さん、随分いい男連れてるじゃないか。あたしにも紹介しておくれよ」
「まぁ女将、そう慌てるなってって、ところで女将の言ういい男ってのはどっちの旦那のことだ?」
女将はぺろりと舌をだし、艶めかしい目つきで晩秋と都羽丸を値踏みするかのように眺めた。
「そうだねぇ~どっちも目が覚めるようないい男だけどねぇ、あたしはこっちのお侍様がいいねぇ~」
そう言うと都羽丸の首筋に細い指先を滑らせる。
「ひぃっ!」
思わず都羽丸が肩に力を入れると、女将は声をあげて笑った。
「まぁまぁ随分と初心なんだねぇ。まぁそんなところがまた可愛いけど。一から十まで教えてやりたくなるじゃないか」
「や・・・やめてください。某はっ」
「まぁまぁ都羽丸の旦那、そんに耳まで赤くして言っても説得力がないですぜ」
「あぁ、たしかに・・・・茹でタコのような顔をしているぞ?」
「ゆっ茹タコってっ!晩秋様まで私をからかわないでくださいっ!」
目をぱちぱちさせて慌てる都羽丸を見て、皆が一斉に笑った。女将は酒を置くと都羽丸に流し目をしながらどこか名残惜しい様子で部屋から出て行った。
「都羽丸の旦那も隅におけないねぇ~」
そう言いながら男は慣れた手つきでちろりから猪口へと酒を注ぐと、晩秋と都羽丸に渡し自らも猪口を持った。
「俺は銀樹だ。銀でいいぜ」
そう言って銀は猪口の中の酒を一気に呑みほした。
「晩秋だ」
晩秋も猪口の中の酒を一気に呑みほした。
「・・・っ、都羽丸・・・です」
都羽丸は猪口の中の酒をぺろりと舐めるとすぐに猪口を置いて隣に座る晩秋に言う。
「それで晩秋様・・・この男・・・・銀さんの正体がわかっているというのはどういうことなのですか?」
「ぁあ?」
晩秋はちろりから酒注ぎながら、目だけでちらりと都羽丸を見た。
「あぁ~こいつ犬だろ?」
「は? い・・・ぬ・・・・?いや・・・どう見ても人ですよね?」
目の前の銀をまじまじと見入る都羽丸を見て、銀は豪華に笑った。
「旦那も人が悪い。犬はないでしょぉ~」
「いや・・・・犬だろ?お前からは獣の匂いがする」
「それにしたってひでぇよなぁ~。おいらはれっきとした人狼。狼ですからね」
「おっ・・・・おおかみっ!銀さんは狼なのですかっ!というか・・・そもそも妖者なのですかっ!」
飛び上がってに驚いている都羽丸とは対照的に晩秋は涼しい顔で酒を呑み続けている。
「別に驚くこともねぇだろ?街中は色々な者の気配で溢れていたではないか」
「いや・・・そんな気配・・・・私は全く・・・・」
唖然とする都羽丸を見て銀も楽し気に笑う。
「まぁ仕方ねぇって。旦那ほどの鬼の傍に自ら寄ってくもんなんてそういやしねぇよ」
「でも・・・私はひとりで町に来た時もそんな気配は・・・・」
「そらそうだろうよ。都羽丸の旦那からは晩秋の旦那の匂いがプンプンすっからなぁ」
「晩秋様の匂い・・・・ですか?」
都羽丸は自らの袖を持ち上げてクンクンと匂いを嗅いでみた。
「いや、都羽丸の旦那にはわかるめぇよ。まぁ良かったじゃねぇか。旦那の匂いがするお陰で厄介な妖も近寄ってこねぇんだから」
「厄介な・・・・妖・・・ですか・・・・」
「まぁ、都羽介がこんな顔をするのもわからなくはないがな。俺とて屋敷を出るまで鬼以外の人外がいようなどとは思いもしなかった。まぁ一歩出てしまえば嫌でも気づいたがな」
「そう・・・・だったの・・・・ですね・・・・」
今更ながらに青ざめている都羽丸とそれと対照的な様子の晩秋との会話を聞いた銀が呆れたように声を上げる。
「鬼ってのに俺も初めて会ったがよ、随分呑気なもんなんだなぁ。しかもだ」
そう言って銀は都羽丸を上から下まで視線を滑らせた。
「おめえさん方は武士かい?見たところ帯刀もしてねぇみてぇだが」
「あぁ・・・・俺は鬼羅晩秋だ」
「鬼羅って・・・・あのお大名の鬼羅かっ」
「そうだ」
「するってぇと・・・・一族総出で殿さまに仕えてるってぇのか?」
「まぁ・・・・兄はそうだな・・・・。俺はあまり関係ないが」
「いや・・・晩秋様、本当は関係なくないんですけどね・・・・」
「いやぁ~、おったまげたなぁ~」
銀は大げさに肩をあげて驚いたそぶりを見せる。
「そういうお前はどうなのだ?犬がなぜ人の世に紛れている?犬は群れるものではないのか?」
「まぁ好き好んで鬼の前にのこのこ姿晒す妖もいねぇだろうから知らねぇのも仕方ねぇがよ、おいらに限らずこの江戸の妖者の殆どは人間に紛れて暮らしてんだぜ?」
「それはっ、誠ですかっ」
「あぁ~、誠も誠、大誠だぜ?」
「たとえば・・・どんな奴がいるのだ?」
銀は視線だけを天井に向けて少し考える。
「そうだなぁ~、風呂屋で働いている赤兵衛は垢舐めだろ?吉原のお松はろくろ首、他にも火消の野衾(のぶすま)、十手持ちには後追い小僧・・・とまぁ江戸の至るところに妖者はいて器用に人間たちに交じって暮らしてやがるのさ」
「へぇ・・・・そんなに沢山の妖がこの江戸に・・・・全然知りませんでした・・・」
「しかし・・・俺から逃げられてしまうのは少し困るな・・・・俺は別段、妖など喰わぬ」
眉間にしわを寄せて困った様子の晩秋をみて、銀は屈託のない笑い声をあげた。
「まぁ奴らにとっても”鬼”ってのは特別な存在だからなぁ。まぁ今度会ったら旦那が会いたがってるとでも伝えておくさ」
「あぁ頼む。で・・・銀、お前の話が途中だったが・・・」
「あぁ~そうそう・・・・、まぁおいらの一族も色々あってね。俺は大黒屋に生まれたんだけどよ、俺の何代か前に大黒屋に男が生まれねぇ時があったらしくて、その時の主人が妾に産ませた子供ってのが俺の爺さんだ。まぁその妾ってのが人狼だった。で、どういうわけか二代後に人間の両親から俺が生まれちまったってわけさ」
晩秋は銀の話に耳を傾け時折頷いている
「姉さんは普通に人間だから、まぁ俺みたいのが稀ってことなんだろうけどよ」
「そんなことがあるのですね・・・・・」
「あぁ、あるもないも実際俺がいるんだからあるんだろうよ。でも五つまでは俺も普通の人間と変わりなかったんだぜ?」
「いきなり犬になったのかっ」
「いや・・・・いきなり犬になったかと言われると素直に頷くのは癪だがよ・・・・まぁそうだな」
「家人は知っておるのか?」
「あぁ姉さんだけは・・・あとの者はもちろん知らねぇよ。ただな・・・・おいらは生まれつきこんな風な髪の色だからよ、気味悪がる親戚もいるがぁな」
銀は自らの銀髪をかき上げると、どこか寂しそうに笑った。
「そうか・・・それでお前は犬であっても群れてはいないのだな」
「あぁ・・・実際おいら以外の一族に会ったことねぇからなぁ・・・・群れてるかどうかも知らねぇよ。時に旦那っ」
「晩秋だ。晩秋でよい」
「え?あぁ・・・晩秋よ、実は・・・おいらが今回お前たちと会ったのは偶然じゃねぇ」
「・・・・・・・というと?」
「あぁ・・・・さっきの越後屋の騒ぎん中お前たちを見つけてよ・・・それ自体は偶然だが・・・・おいらはお前たちを探してたんだ」
「探してた?私たちを?それは何故ですか?」
これまで能天気に笑っていた銀の顔がにわかに曇ったかと思うと徐に両手をつき、頭を下げた。
「頼むっ、おいらに・・・おいらに力を貸してくれっ」
晩秋と都羽丸はこれまでとは一変してなにやら必死な様子の銀をみて戸惑い気味に顔を見合わせた。
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