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伍 銀の頼み
「銀、とにかく頭を上げろ」
「そうですよっ、急にどうされたというのですか」
銀はこれまでふたりに見せてきた笑顔が嘘のように何かを考えるように辛そうに顔を顰めている。
「まぁとりあえず話ぐらいは聞くから話してみろ」
銀はゆっくりと顔を上げると懇願するような目でふたりをみた。
「実は・・・・さっき話したおいらの姉さんのことなんだ・・・・。おいらの家は大黒屋って呉服屋なんだがよ・・・・そこそこ手広く商売やってるから跡継ぎがどうって話にもなるんだ・・・俺はこの通りの見た目で親戚連中なんかにも『こんな髪の色をした子供は物の怪の類にちげぇねぇ』って奴らがいて・・・まぁ実際その通りなんだけど・・・・・そいでよ、姉さんが婿を取ることになったんだ・・・・・先だってその婿って奴が挨拶に来たんだけど・・・・どうもその男がおかしい・・・・」
「おかしい?」
「あぁ・・・・核心はねぇが・・・・ありゃ人じゃねぇ」
「では・・・・妖者だと仰るのですか」
銀は眉間に力を込めて晩秋と都羽丸を見ると力強く頷く。
「おいらは顔見せの席に出なかったから向こうはおいらの事は気づいてねぇと思う・・・けど・・・・」
「気が付くのも・・・・時間の問題だろうな・・・」
「あぁ・・・・そうなんだ。あいつの纏う只ならねぇ空気で人じゃねぇか・・・もしくは何かに憑かれてるのか・・・・だた、それが何なのかがわからねぇ。このまま姉さんをあいつと一緒にさせるわけにはいかねぇんだっ。だから・・・・この通りっ、おいらに力を貸してくれっ!」
銀は畳に手をついて再びふたりに向かって頭を下げた。
「手を貸してほしいと言われましても・・・一体なにをどうしたらよいのやら・・・・ねぇ、晩秋様・・・・」
晩秋は黙って銀の話を聞いてから、腕を組みじっと考えているようだった。
「たしかに・・・・俺は最近まで屋敷に籠っていたから外のことはあまり知らぬ・・・どこまで役にたてるか・・・・・」
「いやっ!晩秋はおいらを一発で狼と見抜いたっ!おいらは人から生まれてるせいか、あまり妖者に同じ類だと気づかれることはねぇんだ。なのに、晩秋は見抜いたっ!まずはあの男がなんなのかおいらは知りてぇっ!」
銀の言葉を聞いて、都羽丸は晩秋と居酒屋に行った時のことを思い出していた。
「たしかに・・・・晩秋様はあの時居酒屋の猪口についた付喪神でさえ、すぐにおわかりでしたよね?」
「あ?あぁ・・・・・」
それを聞いた銀の顔がぱっと明るくなる。
「付喪神を?そりゃぁすげぇや! 頼むっこの通りだっ」
晩秋は小さく息を吐いた。
「やれるだけのことはやってみよう」
「ほんとかっ」
「あぁ」
銀がほっとしたように息を吐き、きちんと座っていた足を放り出し体の後ろに手をついて天井を仰いだ。
「ぁあ~、よかったぁ・・・・おいら内心断られるんじゃないかと気が気でなかったよ・・・・本当によかったぁ・・・・」
「でも・・・一体なにから始めたらよいのでしょうか・・・・」
「あぁ、それなら明日その男が店に来るんだ。姉さんに会いに」
「なるほど、その時にまず男の正体を探るわけだな」
「しかし・・・・」
都羽丸は腕を組み難しい顔をしていた。
「江戸の妖者は我ら鬼の気配を感じると近寄らないのですよね?であれば、その男が妖者だった場合我らが潜んでいたら来ないのではないでしょうか?」
「まぁ突然奴が来ないようならそれはそれで妖者の可能性が高いってわけだけどよ・・・・うちの店の斜前に居酒屋があんだ。そこでおいら達が酒を呑んでいればどうだ?」
「たしかに・・・・仮に俺たちに気づいてもただ酒を呑んでいるだけとおもうか・・・・」
銀は頷いた。
「まぁどうなるかはやってみねぇとわからねぇが・・・」
「やる価値はあるってわけだな」
「おう。そういうわけで明日、昼八つに呉服橋のたもとで落ち合おう」
「わかった」
晩秋が頷くと、銀はいよいよほっとしたとばかりに襖を勢いよく開けると声を張り上げる。
「女将ーっ、酒だーっ、酒の追加を頼むっ!あと肴も適当に頼んまぁ」
「あいよー」
快活な返事とともに、先程の女将が酒の入ったちろりを盆に乗せ顔を出した。いつもなら店先で呑む銀が奥の部屋を使ったことでなにやら大切な話があることを女将は承知していたのだ。
「さぁさ旦那方、どんどん呑んでくださいまし」
女将を先頭に女中がふたり、酒やら料理やらを運んできた。
「晩秋、都羽丸、今日はおいらのおごりだぁ」
銀がちょこを振り上げると女将と女中が景気よく手を叩いて盛り上げた。
「なぁ銀さん?こっちのほうはどうします?」
そう言って女将は連れてきた女中ふたりに視線を送る。
「あ~、晩秋どうする?」
「どうするとはなにがだ?」
「いや・・・何がって、わかるだろぉ?」
「いや・・・全くわからないが?」
「はぁ?それ・・・本気で言ってんのか?」
「あぁ」
隣にいる都羽丸もきょとんとしている。銀は後ろ頭をかきながら女将に向かって苦笑いする。
「女将、今日はいいや」
「そうかい?」
女将は都羽丸を名残惜しそうに見ると女中のふたりを連れて出て行った。女将が出て行ったあとで都羽丸が首を傾げた。
「あの・・・銀さんさっきのは一体なんだったのですか?」
「いや・・・何って・・・だからさ女だよ」
「おんな?」
晩秋と都羽丸は顔を見合わせた。そんなふたりを見て銀は吹き出すように笑いだす。
「いやぁ~、こりゃ参ったね。鬼ってのはどんだけてめぇ勝手に生きてやがるのかと思いきや、こんなにも行儀がいいとは驚きだぁ」
「銀、わかるように説明しろ」
晩秋に言われて銀はおどけた顔で舌をぺろりと出す。
「要は酒と来たら女。こうした茶屋の中には吉原まで行かずとも女が買えるんでぇ」
「そっそれではっ、あの女将が言っていたのはっ」
そこまで言って都羽丸はまるで池の鯉の様に口をパクパクとさせて、耳まで真っ赤になった。それを見た晩秋がため息をついた。
「なるほど。そういうことか。しかし・・・女を呼んで酒が進めば俺は血を啜ってしまうやもしれぬな」
さらりと言った晩秋の言葉に、都羽丸の蒸気した顔が一瞬で元に戻る。
「晩秋様っ、なにを危ないこと仰ってるのですか!酒を呑んでそのようなこにになるのなら、もう酒は呑ませるわけにはいきませぬ」
晩秋の前に置かれたちろりを取ろうとする都羽丸の額を晩秋が手のひらで押さえつけた。ちろりに延ばされた都羽丸の手は寸でのところで届かずにじたばたと暴れている。
「なぁふたりは主従関係だって言ってたけどよ、仲いいよなぁ」
「は?」
「どこがそう見える?」
銀は山菜の天ぷらにさらりと塩を振ると、猪口を煽る。
「どこをどう見ても、すげぇ仲よさげにみえるぜ?今なんてまるでじゃれあう子犬だぜ」
「犬はお前だろ」
「そうですよ!私は晩秋様の側役ですよ!今もこうして晩秋様が間違えを侵さぬよう某がぁ~・・・・ぬぬぬぬぬ・・・・・」
相変わらず都羽丸の額は晩秋に押されていて、都羽丸のてはちろりに届くことはない。
大江戸八百八町。
新橋の小さな料理茶屋の一室からその日は遅くまで笑い声とじゃれあう声が絶えなかったという。
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