弐 晩秋と都羽丸

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弐 晩秋と都羽丸

「なんで某がっ、あのうつけ者の面倒を見なくてはならないのだっ!」  都羽丸はひとり口を尖らせてぶつぶつと呟きながら、町人地を歩いていた。納得はいかない。猫の額ほどの納得もしてはいないが、齋朝に言われたら従うようり他ない。 「大体、私は齋朝様を尊敬しているのであって、齋朝様にお仕えしたかったのだっ!断じてあの頭のおかしい馬鹿次男に仕えたいわけではないのだっ!」  腹の虫は治まることがなかったが、どれだけ腹を立ててもどうしようもないことである。  都羽丸はため息をつき、辺りを見渡した。  町人地は武家地とは違い細い路地に長屋がひしめき合い、通りには様々な商家が立ち並び江戸っ子達でごった返している。 「あの馬鹿次男のことだから、すぐに騒ぎでも起こして見つけられると思ったけど・・・」  見渡す限り江戸の町は普段と何も変わらず、そこに晩秋の姿はない。都羽丸は既に何度目とも知れぬため息をつき、視界の端に入った甘味処へと足を向けた。 「あやつのせいで、むかむかが治まらないっ!仕方ない、ここはひとつ団子でも食べて・・・」  そう言って甘味処へ目をやった時だった。  都羽丸の視線の先に、それはいた。 「はぁ?あんたっ、銭も持たずに団子を食ったってぇのかっ!」 「あぁ、そうだが・・・何か問題あるか?」 「てめぇっ!開き直ってんじゃねぇぞっ!問題大有りに決まってんだろうが!こんちきしょーっ!食い逃げしようったって、そうは問屋が卸さねぇ!」 「いや、別に逃げる気などない。ただ銭を払うなんて知らなかっただけだ」 「知らねぇだぁ?ものを食ったら銭払う!常識じゃぁねぇかっ!」 「なるほど・・・。人の世とは、そういう仕組みか」  全く悪びれもせずに、関心するように頷くと晩秋は手にした団子を再び食べ始めた。 「てめぇ、払う銭がねぇならその団子返しやがれ!」  そう言って晩秋から団子を奪おうとする甘味処の主人の手を、晩秋はさらりと避けながらすました顔で団子を食べ続けている。 「返せと言われても、すでに腹に治まったものを返しようがない」 「その手にある分を返しやがれっ!」 「ぁぁぁああああっ!!!!」  都羽丸は絶叫に近い声を上げながら慌てて駆け寄ると、団子を取り合う晩秋と甘味処の主人との間に割って入った。 「もももっ申し訳ありませんっ!代金は私が支払いますのでっ!」 「お侍さん?・・・・が、一体(いってぇ)どうして・・・」  すっ飛んできた都羽丸を見て不思議そうに眉をひそめる主人の横で、晩秋が呑気な声を上げる。 「あ・・・もしかしてお前は齋朝にいつもくっついてる・・・くっつき蟲か」 「だれが蟲ですか!都羽丸ですよっ」  都羽丸は晩秋の団子の代金を主人へと払い追加で自分の分の団子も頼むと、晩秋の向かいに腰を下ろした。 「奇遇だな。お前はこんなところでなにをしていたのだ?都羽吉」 「都羽丸です。というか、奇遇なんかじゃありませんよっ!齋朝様に言いつけられ、本日より晩秋様の世話役を仰せつかりました。それで晩秋様を探していたのですよ」 「そうか」  投げつけるように言って都羽丸は口を尖らせて晩秋を見据えるが、晩秋は全く気にする風もなく団子を頬張っている。  甘味処の他の客たちはみな興味津々で、遠巻きに晩秋と都羽丸を見ている。そこへ甘味処の主人が晩秋と都羽丸を不思議そうな目で見ながら追加の団子を持ってきた。  それもそのばすである。  髷も結わず、袴も履かず、帯刀すらしていない晩秋の方がどう見ても都羽丸より下の身分に見えるのに、実際は侍の(なり)をした都羽丸が晩秋を様付けで呼んでいるのだから。  団子を手に取ると、都羽丸は晩秋に言う。 「あのですね、晩秋様。商家で物を食べたり品物を選んだ際は銭を払わねばならないのです」 「しかしなぁ・・・俺は銭など持ち歩いてはおらぬ」 「知ってますよ。ですから、某が来たのですっ!今後は某が勘定を致しますから、勝手に物を食べたりしないようにどうかお願い致します」  そう言って都羽丸は鼻息を荒くしながらも、団子を口に入れた。 「で?世話役ってなにするわけ?銭払うのが世話役か?」 「違いますよっ!そんなわけないでしょっ!・・・何って、世話役は世話役ですよっ!晩秋様と共に行動し、晩秋様が困られることのないようにするんですっ」  共に団子を頬張りながら話す晩秋と都羽丸に、店の主人が恐る恐る声をかける。 「あのぉ・・・・お侍様・・・・」 「え?あぁ・・・どうしました?」 「こちらの方は一体(いってぇ)・・・どういった方なのでしょうか?」  不思議そうに晩秋を見る主人に都羽丸は苦笑いした。 「えっと・・・・こちらは私の主で・・・・」  そこまで言うと急に店内がざわついた。 「ほらみろ、やっぱりそうじゃねぇか」 「いや・・・どう見てもお侍さんの方が身分が高く見えるだろ?」  どうやら店内の町人たちは晩秋と都羽丸どちらが主かで言い合っていたようだった。 「するってぇと・・・こちらの旦那は?」  甘味処の主人は店中の町人たちの疑問を背負うかのように都羽丸に尋ねる。 「こちらはですね・・・・」  都羽丸が言おうとした時だった。 「晩秋だ。俺は晩秋。それ以下でもそれ以上でもない」 「へぇ・・・・晩秋・・・・様で?」 「あぁ、そうだ」 「あのぉ・・・・どちらの晩秋様で?」  そう聞いた主人を晩秋は目だけを動かして見据える。 「俺がどこの晩秋かというのは、お前になにか関係があるのか?」 「いっいえっ、決してそぉいうわけではありやせんが・・・・」  慌てて首をふる主人に晩秋はなおも続ける。 「ならばよいではないか。お前は旨い団子を出す甘味所の主人で、俺はその団子が気に入った晩秋だ」 「へ・・・へぇ・・・・・」 主人は無理やり晩秋に納得させられ、店の奥へと戻っていった。 「晩秋様、どうしてお家のことを話さなかったのですか?」 不思議そうに尋ねる都羽丸に晩秋はこともなげに言う。 「俺がここで団子を食うのに、家が関係あるか?」 「そりゃぁ・・・・ありませんけど・・・・」 「ならばそれでよいではないか」 「えぇ・・・・しかし・・・・」  どこか腑に落ちない様子の都羽丸に晩秋は小さく息を吐くと言う。 「俺はさっき禿散らかった侍に絡まれたのだ」 「えっ?えぇ・・・それは存じておりますが・・・・」 「あいつは一番最初に身分だのなんだのと下らんことを言って俺に絡んできた。どうも外の世界はそう言ったもののしがらみが多いように思う」 「そりゃぁまぁ・・・・・」 相槌を打ちながら都羽丸はぼんやりと晩秋を見ていた。 ___もしかして・・・晩秋様は存外懐の大きな方なのかもしれない・・・。確かに齋朝様も身分や名前に捕らわれず誰にでもお優しい方だ。その弟の晩秋様・・・・、齋朝様と同じく平等に民を見ようとしているのかもしれない・・・・  そう思うと都羽丸は妙に嬉しくなった。 「晩秋様、団子追加しましょうか?」 「あぁ、頼む」 「はいっ。ご主人っ!団子の追加をっ!」  早速運ばれた団子を都羽丸は丁寧に晩秋の前へと差し出した。 「ここの甘味が気に入られたのですね!」 「あぁ」 「晩秋様っこの都羽丸っ、晩秋様を見直しましたっ!」 「は?」 「晩秋様はやはりっ、齋朝様の弟君であらせられるのですね!お家の名を出さず民に寄り添おうとするそのお姿っ!都羽丸は感動しておりますっ!」  そう言って目元の涙をぬぐう都羽丸に晩秋がいぶかし気な視線を送る。 「おまえ・・・・何言ってんの?」 「えっ?ですから、晩秋様が素晴らしいお方でよかったと感激しているのです」 「ん~・・・・・お前勘違いしているぞ?」 「へ?」 「俺が家の名前を出さないのは・・・・・」 「出さないのは?」  晩秋は都羽丸に顔を寄せ小声で言う。 「いいか?俺が鬼羅家の者だと知れたら女の血をちょっと啜っただけでも屋敷にその話が行くかもしれぬ!そしたらばばぁや齋朝の小言を三日は聞かされることになる!そんな怠いことまっぴら御免だな」 「は?」  晩秋は都羽丸から顔を離すと手にした団子を満足げに平らげた。 ___前言撤回っ! やっぱりこいつ最低だーーーーーーっ!  都羽丸は声にならない心の声を、胸の中で叫び倒した。 「なぁ都羽太郎お前、酒が呑めるとこ知ってるか」 「お酒・・・ですか?」  都羽丸は細めた目で晩秋を見やりながら不貞腐れたように答える。 「そりゃぁ居酒屋(いざけや)、一杯飲み屋、小料理屋などありますが・・・晩秋様でしたら、料理茶屋などがよろしいかと・・・ってか都羽丸ですし、それにもぉ帰りますよ!あんなことを聞かされたあとに酒のある場所なんてお連れするわけにはいきませんからね。血を啜る気満々じゃないですか」 「料理茶屋?」 「いや・・・ですからもう帰りましょう晩秋様っ」 「は?帰りたいならお前ひとりで帰ればよいのではないか?」  そう言って晩秋は奥から興味深々で覗き込む店の主人に軽く片手をあげると甘味処を後にした。 「まっ待ってくださいっ」 「なら、早く教えろ」 「もぉ~・・・・酒屋や一杯飲み屋などは、江戸の町人達が多く集まるところでございます。大名のご子息である晩秋様にそのようなところは・・・」 「その一杯飲み屋ってとこに行こう」 「へ?」  都羽丸は素っ頓狂な声を上げていた。 「あの・・・晩秋様、某の話を聞いておられましたか?」 「あぁ、聞いていた。聞いていたからこそ、その一杯飲み屋ってのに行くのだ」 「いえ、お酒を呑まれるのでしたら料理茶屋をご案内致しますので・・・・」  晩秋はじっと都羽丸を見た。 「な・・・なんですか?」 「いや・・・お前が勧めるところはつまらなそうだなって思って」 「なっ何を仰いますか! 料理茶屋であればきちんとした座敷で他の者達とは顔を合わせずに、ゆっくりと酒を呑むことができるのですよ!」 「閉ざされた部屋でお前と二人、顔突き合わせて酒呑んで何が楽しいのだ?それでは屋敷と変わらぬではないか」 「少しはお家のこともお考えくださいっ!楽しいとか、楽しくないの問題ではないのです!少しは大名家の自覚をお持ちくださいっ!晩秋様に悪い噂がたてば齋朝様へのご迷惑にも・・・」 「だから名乗らなかったろ?お前も気をつけろよ」  都羽丸が言い終わらないうちに、片手をひらひらと振りながら立ち去ろうとする晩秋のを見て都羽丸は慌てて晩秋の後を追った。周囲の好奇に満ちた視線が気にはなるが、今はそんなことも言っていられない。 「ばっ晩秋様っ、お待ちくださいっ!」  酒の匂いを嗅ぎつけているのか、晩秋は迷うことなく築地の一杯飲み屋へとたどり着く。 「全く・・・この人は一体何を考えておられるのかっ! とても齋朝様の弟君とは思えない・・・」  都羽丸はぼやきつつも、晩秋の後をとぼとぼと歩く。 「ぉおっ!」 一杯飲み屋の前に立った晩秋は、その目を輝かせた。  暖簾がかかり広く空いた戸口の中には、江戸っこたちがひしめきあっているが、その大半は江戸の男達であった。店のところどころに床几が置かれていたが、大半の者は立ったまま酒を呑んでいる。  晩秋は逸る気持ちを抑えつつも店の中に足を踏み入れると、猪口を手に鼻の頭を赤くした男に声をかけた。 「酒を呑みたいのだが」 「ぁあ?」  男は焦点の定まらない目で晩秋を見ると、にたりと笑って晩秋の頭の先からつま先までを舐めるように見渡したあとで店の奥の主人らしい男に声をかけた。 「親父っ、こっちの兄ちゃんが酒ほしいんだとよ!」 「あいよ~、ちょいとお待ちを~」  店の奥からなんとも愛想のよい返事が返ってきたかと思うと、まもなく小柄で愛想のいい店の主人が晩秋の元へ酒を運んできた。 「はいよ、ここに置いておくよ」  そう言って置かれた盆の上にはちろりと猪口がふたつ。晩秋がふと隣に視線を向けるとそこには表情(かお)をこわばらせた都羽丸がいた。 「なんだ、お前まだいたのか」 「いたのか・・・じゃないですよ!ずっと一緒にいるじゃないですかっ!それに晩秋様、某がいないとどうやって勘定するんですか!」  都羽丸が言い終わらないうちに、晩秋は既にちろりから猪口へと酒を注ぐとひとつを都羽丸に差し出し、もう一つの猪口に口をつけた。 「なぁ、都羽麿、面白いなぁ・・・」 「え?」  猪口を受け取りながらもそう言った晩秋の顔を見た都羽丸は、思わずその横顔に見入ってしまった。晩秋があまりに目をきらきらさせて、店の様子を楽し気に見ていたからだ。 ___この人も、こんな顔するんだ・・・ 「人間ってのはよ・・・こんなにも沢山いて・・・こんな風に笑うのだなぁ」  都羽丸には一瞬晩秋の言っている意味が分からなかった。 「目に映る景色が、こう・・・動いている。どいつもこいつも、実にいい顔して笑うものだ。こういう風景を見るとなるほど確かに喰らうのは勿体なく思えるな」 「いや・・・喰らうとか簡単に言わないでください・・・お願いですから」  嬉しそうに辺りを見渡す晩秋を見ているうちに、都羽丸はふと気が付いた。 ___そうか・・・、晩秋様はこれまで屋敷からお出になられたことがないお方・・・・。私にとっての当たり前のこの江戸の景色が晩秋様にとっては・・・・  そう思うと、同い年の手のかかるこの主がどうにも可愛らしく見えた。 「晩秋様、肴をたのみましょうか」 「おう、頼もう」  そう言って嬉しそうに笑った直後、声晩秋の視線は店の奥へと注がれる。 「晩秋様?」  不思議に思った都羽丸が、晩秋の視線の先を目で追うとそこではひとりの老人に何人かの若い男が絡んでいた。 「じじぃよぉ~、ここはてめぇみてぇな汚ねぇじじぃの来るところじゃねぇんだよっ!」 「てめぇ、物乞いか? 恵んで貰った銭で酒飲むとはふてぇ野郎だっ」 「てめぇがいると、酒が不味くなるってもんだっ、さっさとけぇりやがれっ!」  男たちにわんやわんやと責めたてられている年老いた男はその身にボロを纏い、随分と痩せほそっていた。男たちの言葉が耳に届いているのかいないのか、小さく背を丸めて地べたにちょこんと腰を下ろして猪口の中に残った僅かな酒をちびちびと呑み続けている。 「えっと・・・・・晩秋様?」  都羽丸は晩秋の背後からそっとその表情を伺いみる。 ___まずい・・・・まずすぎるっ!これはっ、完全に興味をそそられているーーーーーっ!  慌てて晩秋の前へと回り込むと、ちろりを手に晩秋の猪口に酒を注いだ。 「ばっ晩秋様っ、ほら酒ですっ!酒ですよぉ~。酒を呑みましょう!あぁ~いやぁ~楽しいですよねぇ~」 「あぁ・・・」  晩秋は都羽丸に注がれた酒を無言で口につけるも、その視線が男たちから外されることはない。 ___やめてーーーーっ!絶対まずいよっ! すっごい興味持ってるよ!完全に心持っていかれちゃってるよーーーーっ! 「ばばば・・・晩秋様っ!」  今初めて都羽丸の声が聞こえたという顔で、晩秋が都羽丸を見た。 「えっえっと、ほら晩秋様、肴が来ていますよ!これは鮪といって町人たちが好んで食べている魚なのです!屋敷では鮪はでませんから、珍しいでしょう?ほぉら、召し上がってみてはいかがですかぁ?美味しいですよぉ~」 「なぁ、都羽吉・・・・」 「あ、いえ・・・都羽丸ですけど、なんでしょうか?」 「この店に来ちゃぁいけねぇ奴とかいるのか?」 「は?」  都羽丸は一瞬きょとんとした。  晩秋の言っている言葉の意味がわからなかったからだ。 「いえ・・・・、勘定さえすれば誰でも・・・・・」  そこまで言って都羽丸は気が付いた。 ___これって、確実にあの男たちのことを言ってるーーーーーっ! 「さ、さぁ・・・・どうなんでしょう? 私はその辺りはよく存じませんので・・・・ほぉら晩秋様は周りのことなど気にせず、某と酒を楽しみましょう」  引きつった笑いを浮かべながらそう言った都羽丸に晩秋は真顔で「そうか・・・・」と呟き、猪口の中身をじっと見ていた。  なんとかごまかせたと都羽丸がほっと胸を撫でおろした時だった。 「なぁ、親父。この店には来てはならない奴がいるのか?」  晩秋が店の主人を呼び止めて声をかけていた。 ___全然、ごまかせてなぁーーーーいっ!  主人はどこか困ったようにしながらも晩秋に言う。 「いえ・・・そういうお方はいないのですがね・・・・・」 「そうか・・・・ならばどうして、あいつらはあそこのじじぃにそう言ってるんだ?」 「いや・・・それはですねぇ・・・・・」  店の主人は愛想笑いを浮かべ、困ったように額の汗をぬぐいながらも言う。 「あのお方がたは、大名に仕える方達なんですよ・・・・それで・・・・」 「大名に仕える者?」 「へ・・・へぇ・・・・」 「あの晩秋様、あの者達はですねっ!」  都羽丸がそう言ったとき、既にそこに晩秋の姿はなかった。 「ばっ晩秋様っ?」  見れば、晩秋は既に男たちに声をかけていた。 「おいお前たち、この店に来てはならぬ者などいないらしいぞ?」 「ぁあ?」  老人に難癖付けていた男のひとりが、挑発的な目を晩秋に向けた。店中が静まり返り、皆晩秋と男たちに注目が集まる。 ___あぁ~、だめだ・・・・もぉ終わりだ・・・・  都羽丸はしゃがみ込み頭を抱えた。 「だから、この店に来てはならぬ者はいないそうだ。つまり、そこのじじぃがここで酒を呑んでもなんら問題はないのだ」  晩秋の言葉を聞いたひとりの男が、吹き出すように笑った。 「こりゃ旦那ぁ~、随分な着物着てるじゃねぇか。歌舞いていい気になるのもいいが、逆らう相手は選んだ方がいいってもんだぜ?」 「逆に逆らってなどいない。お前たちが知らぬようだから教えてやったまでだ。俺も知らぬことばかりだが、今店の親父に聞いたからこの店でこのじじぃが酒を呑んでもいいのは確かだ」 「へぇ~そうかい。だがよ、俺らは伊達家に仕えてんだぜ?その俺らの目の前で臭ぇじじぃが酒を呑んでいいはずがねぇだろうが?」  晩秋は首を傾げた。 「お前達が伊達に仕えてると、なぜだめなのだ?それにこのじじぃは、別に臭くはないぞ?まぁ・・・・旨そうな匂いもしないが、お前たちよりは幾分ましであろうな」  晩秋の言葉に、傍観していた店の客がぷっと吹き出した。 「間違いねぇや、いいぞ旦那ぁ!」  その言葉を皮切りに、店の客たちが晩秋に加勢の激を飛ばす。老人をいたぶっていた男たちの顔が怒りにみるみる赤く染まっていった。 「貴様ぁ~、よくも俺たちを虚仮(こけ)にしてくれたなっ!俺たちに盾つくのは伊達に盾つくのも同じ!貴様っ一体どこのどいつだっ!」 「俺は晩秋だ」 「ぁあ?晩秋だと?聞かねぇ名だな」  そう言って殴りかかってきた男の腕を晩秋は左に体を折るように曲げてかわすと言った。 「そうか・・・・伊達・・・か」 「ぁあ?貴様ごときが、気安く口にしていい名じゃねぇんだよ」 「名を口にするのに、気安いも気高いもないだろう?それに、伊達なら知っておる」  男のひとりが高笑いする。 「はっ?こいつ馬鹿なんじゃねぇか。陸奥六二万石の伊達の名を知らねぇ奴なんていねぇよ」 「そうではない、綱村を知っていると言っているのだ」  一瞬男たちの顔が真顔になるも、すぐにその顔に薄ら笑いを浮かべた。 「どうやら頭ン中まで歌舞いていやがるようだな」  晩秋は男たちをまるで無視してしゃがみ込むと、老人に声をかける。 「なぁ爺さん、俺と爺さんは似たもん同士だなぁ、どうだ、一緒に呑むというのは」  老人はにたりと笑みをこぼした。その口元から黄色い歯が覗く。 「馬鹿を言え、主などと似てはおらぬわ。だが酒の誘いは受け入れよう」  晩秋は老人は視線を合わせると、薄い口の端で笑うと振り返り店の主人に向かって叫ぶ。 「親父、酒を頼む」 「へっへいっ、ただいまっ」  その様子を見て男たちが黙っているはずもない。 「貴様っ、とことん俺らを虚仮にするってぇかっ!」  そう言って晩秋に向かって腰のものを抜き晩秋の頭上に振り上げた時だった。取り囲み様子を見ていた店の客達の会話が男の耳に届く。 「俺ぁあの方、知ってるぜ。ついさっきもどこぞの武士に刀を抜かれ大騒ぎになってたんだ」 「刀を抜かれただと?おめぇそりゃ見間違いじゃぁねぇか?刀抜かれてたら今頃切られてここにはいねぇだろうが。それともなんだい、あの旦那が幽霊だってか?」 「ばかっ、あの方は鬼羅家の晩秋様なんだよ」 「鬼羅家?って・・・・あ・・・あのお大名の鬼羅家か?」 「あぁ、嫡男の齋朝様がたまたま通りかかってな、その場を収めたんだがよ、晩秋様はただもんじゃねぇぜ、自分に切りかかってくる刀を笑いながら踊るみてぇに全部避けちまうんだよ。いやぁ、凄かったねぇ」 「なんだいっ、それならさっきの伊達の藩主様を知っているってぇのも?」 「あぁ・・・鬼羅家なら本当に知っていらっしゃるんだろうなぁ」  男が刀を振り上げたまま固まり、全身から冷や汗を流し始めた。 「や・・・やべぇよ・・・・」 「伊達を知ってるって、そういうことだったのかよ・・・・」  拳を振り上げた男の背後から耳打ちするように、仲間の男が言った。次の瞬間、男たちはまるで地に吸い寄せられるかのように土下座をしていた。 「ももも・・・・申し訳ございませんっ。まさか貴方様があの鬼羅家のご子息とはっ!どうか・・・どうか、命だけはっ! 「ぁあ?」  老人と酒を呑んでいた晩秋が、地にひれ伏す男たちを見て面倒臭そうに舌打ちをする。 「なにをしておるのだ?別にそんなことはしなくていい。それより・・・・お前たちのせいで俺の家がばれてしまった」 「い・・・いえ・・・あの・・・ですから、無礼を詫びようと・・・・・」  晩秋は興味なさげに猪口に口をつけると言った。 「別に詫びなどいらぬ。ただ・・・・・」  ちらりと老人を見ると晩秋はその視線を男たちへと向ける。 「ただ、ここは誰でも酒が呑めるとこだと親父が言うのだから、そういう処なのだ。ゆめゆめ忘れるでない」 「ははっ」  男たちは額が擦りむけるほど地に擦り付けると、そのまま逃げるように店を出て行った。  そんな男たちの後姿を見ながら晩秋は「せわしない奴らだ・・・」と呟くのだった。  男たちが店から出ると、客たちからは歓声が上がった。それからは晩秋と老人を囲んで、店中大盛り上がりとなった。  その様子を店の端で都羽丸が終始ぽかんと口を開けて見ていたが、そんな都羽丸にひとりの客が都羽丸に猪口を差し出しちろりから酒を注いだ。 「なぁ、ありゃぁお(めぇ)様の殿様か?」 「え?えぇまぁ・・・・」 「そうかい、いい殿様に仕えてんなぁ。ありゃぁ大したお方だ」  猪口を受け取り戸惑い気味に酒を受ける都羽丸に客は言うと賑やかな輪の中に戻っていった。 「大したお方・・・・ですか・・・」  都羽丸は誰に言うでもなく呟くと、渡された猪口の酒を呑み干して晩秋の元へ向かった。 「晩秋様、先ほど暮れ六つの鐘が鳴りました。いい加減そろそろ屋敷へもどりましょう」 「あぁ?嫌だね。俺はまだ、ここで酒を呑んでいたいのだ。なぁ爺さん」 「そんな事を言っておられると、また馬場殿の雷が落ちますよ」 「ばばぁなんて、ほっとけばよい。それより都羽介お前も呑め」 「だめですってって、都羽丸です」  駄々をこねる晩秋を何とか店から引きずり出すと、店の客たちは口々に晩秋に言った。 「晩秋様、今日は楽しかったぜ」 「また、一緒に呑みてぇもんだ」 「あぁ!俺も楽しかった!また呑もう!」  晩秋は片手を上げて答えると、さっきまでの駄々っ子のようだったことが嘘のように颯爽と日の落ちた江戸の町を歩き始めた。 「時に・・・・都羽麿、お前も鬼だな」  晩秋の言葉に都羽丸ははっと顔を上げた。  「えっえぇ・・・・・・・都羽丸ですけどね。確かに私は鬼です。ただ・・・私の母は人間です。私のように半端な鬼など・・・・」 「そうか。なら夜目は効くな」 「え?・・・・はい、それは大丈夫ですが・・・・」  晩秋は機嫌良さげに歩いている。 「晩秋様?」 「ぁあ?」 「先ほどあの老人に晩秋様はご自分と似た者同士だと言っておられましたね。あれは・・・どういう意味ですか?」 「あ~・・・・あれは・・・・・だって、同じような者だろう?俺もじじぃも」  都羽丸は首を傾げた。 「それは・・・・」 『駄目な大人としてですか?』そう口に出そうになり、慌てて自らの口を押える。  そんな都羽丸を見て、晩秋は薄い唇の端で笑う。 「じじぃは、あの店の猪口の付喪神だ」 「えっ!」  都羽丸は言葉をなくした。 「鬼も神も似たような者だろう?人の世にあって、人ならざる者。それでもこうして紛れてしまえば・・・・風景の一部となる。人と交わればなんとも楽しい。その中でそうした違いなど微々たるものだ」  都羽丸は機嫌良く鼻歌を歌いながら歩く晩秋の横顔をじっと見た。 ___私は・・・あの老人が付喪神だったなんて、全く気が付かなかったというのに・・・ 「お前の母が人であろうとなかろうと、それもまた大した問題ではないんだよ」 「っ!」 ___さっきの某の言葉・・・ちゃんと聞いておられたのか・・・・  屋敷へ帰ると、馬場が今か今かと晩秋の帰りを待ち構えていた。  その姿を見るなり晩秋は庭を駆け抜け、縁側から屋敷の中にあっという間に姿を消してしまった。土間から血相を変えて飛んできた馬場に、都羽丸は苦笑いで応じる。 「晩秋様はっ!」 「えっと・・・・あっちの方に・・・・」  そう言って指さすと、まだ都羽丸が言い終わらないうちに馬場は晩秋の消えた方へ向かって物凄い勢いで走り出していた。 「晩秋さぁまぁ~っ!」  屋敷中に響き渡る馬場の声を聞きながら、苦笑いの都羽丸が向かったのは齋朝の部屋だった。 「齋朝様、都羽丸にございます」  襖の前できちんと座り声をかけると、中から齋朝の穏やかな声が返ってくる。都羽丸が部屋の中に入ると齋朝は書き物をしていた手を止め、都羽丸に声をかける。 「で、どうであった?晩秋は」 「はい・・・・」  都羽丸が今日の晩秋との出来事を事細かに話すと、齋朝は声を上げて楽し気に笑った。 「齋朝様っ、笑い事ではございませんっ!鬼羅家のご子息があのように江戸の城下で振るまうなど、いずれ齋朝様の名にも傷がつきます!」  齋朝は目を細めて都羽丸を見た。  「なぁ、都羽丸よ。今日晩秋は他人を貶めたか?」 「いえ・・・それは・・・・」 「晩秋は他人に不快な想いをさせたか?」 「いえ・・・・」 「他人を傷つけただろうか?」 「いえ・・・・」  都羽丸は齋朝に問われ、晩秋との一日を回想していた。 ___確かに・・・刀を振るわれても、拳を上げられても、晩秋様は避けるだけ・・・・、ましてや自ら誰かをどうこうすることなど一度だってなかった・・・・・それに・・・今日晩秋様と関わった誰もが最後は楽し気に笑っていた。  考え込んでいる様子の都羽丸に、齋朝は静かに言った。 「都羽丸・・・・」 「あっ、はっ」  都羽丸ははっとして顔をあげ、齋朝を見る。 「晩秋はこれまでの時をずっとこの屋敷の中だけで過ごしてきた。体は大人になっても晩秋の中身は子供のままなのだよ・・・・。だから・・・、都羽丸、同年代で同族のお前が晩秋のそばで力になってやってほしいのだ」 「齋朝様・・・・・」 「やってくれるか?」 「はいっ」  都羽丸がぴんと背筋を伸ばして答えると、齋朝は嬉しそうに目を細めた。頭を下げ齋朝の部屋を後にした都羽丸の目の前に、こちらに向かって物凄い勢いで駆けてくる晩秋が現れた。 「都羽麿かっ!、よし、お前の部屋に行くぞっ!」  そう言って都羽丸が返事をしないうちにその手を取ると晩秋は走り出していた。 「えっ、一体どうしてっ、って私は都羽丸ですっ!」  走る二人の後を、なぜか箒を持った馬場が追ってきていた。 「ひぃっ、なぜ私までっ追われるのですかっ!」  そう言って晩秋と共に逃げる都羽丸の顔には楽し気な笑みが浮かんでいた。          
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