エルド

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エルド

 イチカ達は買い物を済ませ、日が暮れる前にC市を後にした。イチカが購入した荷物を入れたリュックを背負い、アールは売れ残った作物を乗せた台車を引く。  イチカはグランが最後に言っていた、〝 片目のアンドロイド〟が気になっていた。もし、アールがそれだとしたらーー。あまり考えたくはなかった。  段々と暗くなってきた。  早く帰らなければと、イチカは急ぎ足で帰路を行く。 「急ぎましょう、アール」  イチカは、後ろを歩くアールに声をかける。 「イチカ」 「なあに」 「聞いていいですか?」  イチカは足を止めて振り返る。アールも歩みを止めイチカを見た。 「ーー聞きたいこと? あなたが?」  有り得ないことだった。アールは、意志を持たぬアンドロイドのはずだから。 「はい」  アールは頷く。イチカは少し迷ったが、了承した。 「どうぞ」  そう言って、イチカはまた先を歩き出す。話はするが、日が暮れてしまうので止まるわけにはいかないのだ。 「エルドについて、教えてください」  イチカは前を向いたまま、目を丸めた。 「なぜ」 「その質問はとても難解です、イチカ。ですが、私はどうしても、エルド、という名前が、とても気になるのです」  気になる? アンドロイドが弟の名前を?  おかしなことになってきた。イチカは戸惑いを覚える。  しかし、イチカはエルドの話をしたい気持ちもあった。大切な弟との思い出を、誰かと共有したい。 「良いわよ。話してあげるわ」  イチカは静かに語り始めた。  エルドはイチカと一つ違いの弟だった。空色の瞳を持つ、美しかった母に似た、利発的な男の子だった。  イチカとエルドの両親は、彼らがまだ幼い頃に死去した。  両親とも魔法が使える人間だった。特に母は魔法の力が強く、軍から要望があり、専任魔法使(せんにんまほうし)として仕えた程だったという。そこで軍官であった父と恋に落ち、イチカを妊娠したことを機に退職、C市の外れに家を建て暮らした。  幸せな日々だった。  翌年にエルドも生まれ、四人家族になった。イチカは弟の面倒をよく見た。 「お姉ちゃんて呼びなさいよー」 「やーだ。イチカはイチカ、だろ?」  生意気なこの弟は、姉を名前で呼んだ。  普段は面倒見の良いイチカも、弟と喧嘩することもあった。 「お姉ちゃんの言うこと聞きなさい!」 「やーだよー」  この頃はまだ、イチカの方が体が大きかったので、負けることはなかった。 「わあん! おかーさーん! イチカがいじめるー!」 「ちがうー! エルドがイタズラするから!」 「二人とも、やめなさい!」  喧嘩しても、すぐに仲直りした。周りに同年代の子供がいなかった為、二人きりでよく遊んだ。  やんちゃだったエルドは、走って転ぶことが多かった。 「いたいよー」 「もう、見せてごらん、いたいのいたいの、とんでけー」  泣く弟のために、イチカはよくおまじないをしてやった。そうするとピタリとエルドは泣き止んだものだ。  今思い返せば、無意識のうちに魔力を使っていたのだと思う。体の治癒力を高める魔法は、イチカの唯一の得意分野だった。  畑を耕し、たまに作物を街に売りに行った。帰りにはポーノの店に寄り、姉弟一つずつ、玩具を買ってもらうのが楽しみだった。  家族でよくピクニックに出かけた。アールを拾った空き地は今はスクラップ置き場だが、元は色とりどりに咲き誇る花畑だった。母の作ったお弁当を食べ、父と日が暮れるまで姉弟は遊んだ。  ある日、人が訪ねてきた。父と母は、すぐ戻るから、とイチカとエルドを置いて出かけた。  二日経っても両親は戻らなかった。三日目の朝、ポーノが来て、両親は死んだと伝えられた。  姉と弟、二人ぼっちになった。  イチカは8歳、エルドは7歳だった。  両親亡き後は、ポーノが二人の面倒を見てくれた。C市の学校に入れるよう、取り計らってくれたのも彼だった。  ポーノは元々、両親と同じ軍の関係者だった。優秀な専任魔法使だったという。  年齢は違うが、イチカとエルドは同じ年に学校に入学した。そこでは魔力の検査がある。魔力の強さで色が変わる、元は黒の特殊な石を使う。色別に段階があり、上から白、赤、青、黄、色なしの五段階だ。色なしは魔法が使えない。母の血を色濃く継ぐエルドは白、イチカはかろうじて黄色だった。白だった、と得意げに笑うエルドの顔を、イチカはまだ鮮明に覚えている。  姉弟にとって、学校は楽しい場所だった。同年代の友達も出来た。  学校では検査はするが、魔力を使うことはなく、授業は簡単な読み書きや計算程度だった。それでも、今のイチカの役に立っている。  市内の学校は五年間だった。魔法の才能を認められていたエルドは、学校を卒業してからも、首都にある魔法大学への推薦を受けていた。優秀な弟を、イチカも誇りに思っていたのだ。  しかしーー。 「行かないって、どういうこと? エルド!」  イチカが夕飯の準備をしている時、エルドは言った。食器を棚から取り出しながら、魔法大学へは行かない、と。 「大声出すなよ。今言った通り。大学へは行かないよ」 「だから、どうして。大学へ行けば、その、魔法に関わる立派な職業に就けるかもしれないのに」  エルドは自身に魔法の才があることを喜んでいた。イチカはそのことをよく覚えていて、その才を発揮できる職に就くことが、彼のためだと思っていたのだ。  エルドはチラリとイチカを見た。その空色の瞳で。 「どうしてって。イチカこそどうして俺がイチカを置いてそんなトコロ行くと思ってんの? 行くわけないだろ? イチカが一人になるのに」  エルドは当たり前のように言った。  父さんと母さんが作った、家や畑をそのままには出来ない。  イチカはそう言って、街に住んだり、他の街に出て働いたりすることを選ばなかった。 「エルド、私のことは気にしないで、良いのよ。あなたには母さんと同じ魔法の才がある。それを使わないなんて」 「良いんだよ!」  エルドは言うと、取り出していた食器を放り投げた。あ、とイチカが叫びそうになった瞬間、エルドが指を鳴らすと、それらは意志を持ったように部屋を飛び回った。 「ーーわぁっ」  イチカは歓声をあげた。  エルドはウインクしながら微笑むと、木のテーブルに食器を配膳した。テーブルの真ん中にあるロウソクに火をつけることも忘れない。 「な! 大学なんて行かなくても、ここでだって俺の才能は活かせるんだ!」  イチカは目を丸めて、それから微笑んだ。 「ずっと一緒にいてくれるの?」 「当たり前だろっ。俺ら家族だぜ」  この優しく賢い弟が、イチカは大好きだった。  イチカを喜ばせるために、エルドは度々魔法を使った。杖がなければ魔法を使えないイチカと違い、エルドは何も持たなくとも自由に使うことが出来た。 「ほら、イチカ、見て!」  エルドのお気に入りは、周囲の空気を操作して、川の水を浮かせて畑へ水撒きをすることだった。 「すごいわ、エルド」  エルドの手の動き通りに変化する水を、イチカは飽きることなく見て賛美した。  魔法を使う時のエルドの姿は、キラキラして、楽しそうで。  母と同じ、色素の薄い髪と、空色の瞳。  イチカは、いつも、焦がれた。  他国との大戦が始まったのは、姉弟が学校を卒業してから三年が過ぎた頃。イチカは16歳、エルドは15歳だった。  イチカ達が住む場所は、対戦国との国境とは程遠い為、戦火が及ぶことはなかった。首都が集中爆撃を受けた、と聞いた時、イチカは心からエルドが魔法大学へ入学せずに良かったと思った。  戦争が始まり、しばらくは何の影響もなかった。姉弟は元々自給自足の生活であった為、食べるものには困らない。  しかし、戦争が長引くと、日常品が不足した。肉・魚類や調味料は高騰し、たまに作物を売る程度の姉弟の稼ぎでは、とでも買えなくなった。味のない野菜スープを何日も飲んだ。  そして、衣服が買えなくなった。当時まだ成長期だった二人だが、新しいものは買えず、あるものを手直しする材料も買えない。特に背の伸びたエルドは、シャツのボタンを閉めることもできず、とても外へ出かけられる格好ではなかった。  見かねたポーノがツテで手に入れたという洋服を持ってきてくれた。それでも、毎日着るのに洗濯しても間に合わなかった。  そんな時に、彼はやってきたのだ。 「弟さんを、軍へ入れさせていただけませんか?」  その、鈍く光る灰色の髪を持った軍人は、制帽を取り頭を下げた。 「徴兵、ですか?」  イチカは唇を震わせながら聞いた。  この国の中では辺境という位置にあるC市でも、徴兵が始まったと聞いた。  この男が来た時、イチカはよっぽど、家に入れずに追い返そうかと思った。しかし軍服を着た彼へそんな仕打ちをすることも出来なかった。イチカは固い表情で、彼を家の中へ招き入れ、リビングへ通した。  テーブルを挟み向かい合う形で、彼と向き合う。 「いえ、あなた達はかの国の属市であるC市に居を置いていません。正確に言えば、あなた達はかの国の国民ではありません。ですから徴兵の義務もありませんし、かの国もあなた達を守ることもしないわけです」  彼は、そこで一旦言葉を切る。 「しかし、私はあなたと弟さんと同じ学校を出てまして、かねがねエルドくんの噂は聞いていたのです。私は軍学校へ入ったのですけど、エルドくんが同じ首都にある魔法大学へ来るのを楽しみにしていました。C市の学校から、首都へ来るものは滅多にいませんでしたから。どうやら来ないらしいと聞いて、がっかりしたのを覚えています。ーー話が逸れましたね。今の軍には魔法戦士が不足しているのです。どうかお願いです。彼に徴兵の義務はありませんが、志願はできる。エルドくんの力を貸して欲しい」  イチカは頭を下げて、はっきりと言った。 「お断りします。申し訳ありません。お帰りください」  グランは立ち上がる。 「どうか! 考えてはくれませんか。エルドくんのことは私が守る。彼は必ず、比較的安全な、後方での援助の役につけるようにします。上にも、エルドくんの類ない力のことを伝えれば、みすみす戦死するような場所に配置するわけないんです。お願いです、どうか」 「帰って、帰ってください。グラン少尉」  グランはその緋色の瞳で、イチカを真っ直ぐと見据えた。その瞳が動く。イチカが視線を追うと、いつの間にかエルドが畑作業から戻ってきていたようだった。リビングの入り口でこちらを見ていた。  エルドは口を開く。 「今の話はーー」 「良いのよ、エルド、もう帰ってもらいますから」 「エルドくんが我が軍に入るならば、イチカさんの身の安全を軍が保証しましょう。先日ここから南の方にある海の街で空爆があった。かの国の属市でないにも関わらず、だ。国の中心地から離れているからと言って、必ずしも安全ではないのですよ」  イチカはグランを睨みつけた。 「嘘だわ。戦争で身の安全なんて、保証出来るはずがないもの」  グランはエルドの方へ歩みを進める。 「どうかな? エルドくん。君に聞いているんだ」  グランは、エルドを見下ろし、問うた。 「ーー行きます」 「エルド!?」  イチカはグランとエルドの間に割って入った。 「何言ってるの? 行ったら、生きて戻らないかもしれないのよ?」  イチカの言葉に、エルドは笑顔を向けた。 「ほら、俺って魔力の検査、白だったろ。こういう非常事態にこそ、俺の力は活かされるべきだと思うんだよね」 「なに、ふざけてるの」 「ふざけてなんかないよ。俺、行くよ」 「エルド!」  イチカはエルドの右腕を掴んだ。 「やめなさい! お姉ちゃんの言うことが聞けないの!?」  エルドはイチカを見下ろす。  イチカはエルドを見上げた。  母と同じ、空色の瞳。  いつも、焦がれた。 「聞けないよ。俺は、もう、子供じゃないから。イチカの言うことは、聞けない」  エルドはイチカの横を抜け、グランの前に立った。 「グランさん、でしたっけ。俺、志願兵になります」  エルドの言葉に、グランは頷く。 「ありがとう、エルドくん。早速軍に帰って、きみの志願を伝えよう」 「よろしくお願いします」  エルドは頭を下げた。    イチカは、静かに目を伏せた。  誰にも聞こえないように、小さく、つぶやく。 「いつも。いつだって、私の言うことなんて、聞いたことないじゃない」  一週間後。  エルドはグランに連れられ、戦地へと赴いた。  そして、イチカの元に二度と帰ることはなかった。                                                               
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