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秘書は答えない。いざ切り出したものの、強く出るのは躊躇われると見えた。無論、この直前のタイミングで会見の会場を変更する事など出来ないのは重々承知の事だろう。
確かに、いつもの会見であればマスクをつける必要の無い屋内でセオリー通りに行うのが当然だろう。だが、今回ばかりは少し勝手が違う。いいかい、と私は前置きをして、秘書を安心させようとした。
「マスクというのは、どんなにデザインに重きを置いた物でも、何を置いても優先されるべきは安全性だ。確かに新型モデルを最初に装着するのは抵抗があるかもしれないが、今外気に怯えるこの時代だからこそ、人を動かす、人の上に立つ私達が先陣を切って動かなければいけない。技術や文化の発展はそうして生まれるものだ。……ここ十年間、新しい大きな技術的躍進が生まれていない現状を打破するのも、私の役目の一つだと思ってる。『渚』だって、大勢のマスコミが居る前では動けないさ。連中が行なっている事は、奴らの言う思想や大義がどんなものであっても許されるものじゃない。だから、連中を恐れて屈する事は無いんだ」
答えると、秘書は何かを言い返そうとした。だが、それが最早無駄な説得である事を悟ったのだろう。不服そうに黙ってしまった。そうして、黙って壁に掛けておいたコートと手袋、マフラー、そしてガスマスクを手に取り、私に差し出してくる。
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