プロローグ

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 そうはいってもやりすぎたことを反省し、俺は布団から出て千鶴を起こしてやった。 「悪い悪い。泣くなよ」 「こうちゃんのバカあああ」  馬鹿とはなんだ、酔っ払い。涙で濡れた顔をティッシュで拭いてやる。なんか黒いもんとか、ほっぺたに広がってしまったけど俺のせいじゃない。 「そんなに泣くことないだろ、千鶴」 「そおだけどお、お酒飲むと涙が出ちゃうんだよお」  だったら飲むなよ。 「それとお、『千鶴』じゃないでしょ。『お姉ちゃん』でしょ」  こんなべそべそ泣く女は姉じゃないだろ。黙ったままでいる俺を千鶴は涙目で睨む。 「こうちゃん、返事は?」 「はいはい」  お姉ちゃん、なんて死んでも呼ぶ気はないけど。だって千鶴は本当の姉じゃないから。  まだ小さな子どもの頃の話だ。近所の公園で遊んでいた俺と千鶴は、腹時計がおやつの時間を主張するので、母親の迎えを待たずに家へと帰ってしまった。玄関先には何度か会って顔を覚えていた母の友人が来ていた。 『……じゃあ、子どもたちには教えないの?』 『今のところはね。ダンナはわかる年齢になったらちゃんと話そうって言うのだけど、私はそれにも反対なの。せっかく本当の姉弟みたいに育ってるんだもの。わざわざ本当は、他人なのよ、なんて教えなくても……』  五歳の俺にはよくワカラナイ内容だった。八歳の千鶴には意味が理解できたのだろうか。  千鶴は手をこわばらせ慌てたように俺の腕を引っ張って公園へと走って戻った。それから母親が迎えに来るまで、改めて黙々と砂場で遊んだ。  多分、千鶴のその行動は、言い付けを守らず勝手に家に帰って大人の内緒話を聞いてしまったことへの恐れだったのだと思う。  千鶴が俺たちの正しい関係を自覚しているかは今でもわからない。確認したことがないから。  俺はといえば、千鶴への感情を持て余すようになった頃にそのときのことを思い出した。  それから断片的に情報を集め、どうやら俺は、母親の親友の子どもであること。親友夫婦が事故で亡くなり、まだ赤ん坊だった俺はこの家に引き取られたらしいこと、などを知った。  けれど、育ての両親から何も知らされない以上、俺は知らない振りをしている。  千鶴は千鶴で『お姉ちゃん』て呼びなさいと強制する。そうしながら俺と一緒に眠りたがる。 「ほら、もう自分の部屋行って寝直せ」 「やだあ。こうちゃんと寝るー」 「あのなあ……」 「きょうだいなんだからいいでしょー」  この年で一緒に寝る姉弟なんかいないだろ。それでも俺は、千鶴の腕を振りほどけない。
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