理想と現実

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 溢れる涙を拭き取り、着ていた服をもう一度じっと見つめて。 (うん、大丈夫。エミルさんに貰った服だもん……まだ帰ってきてない。でも、ならここは……どこ?)  星は冷静に再び辺りを見渡す。  その時、ガチャン!っと玄関の鍵が開く音が聞こえた。  突然のことでどうしたら良いか分からず、星があたふたしているとドアが開く。  開いたドアから入ってきたは写真の女の子と、星の母親らしき女性が笑いながら楽しそうに会話をしている。  しかも、母親らしき女性のお腹は大きく出ていた。そのことから、その女性が妊娠していることが窺い知れた。 「お母さん。足元気を付けてね!」 「ええ、ありがとう。優しいわね。月はきっと良いお姉さんになるわ」  女性はそう言って、その子の頭を優しく撫でる。  すると、女の子は嬉しそうに笑い。母親もそんな我が子に微笑み返す。  そこには、ごく普通の親子の微笑ましい姿が広がっていた。  だが、その姿を見た星の胸を締めつける。  もう長い間、母親に優しいく微笑みかけられることも、笑顔で頭を撫でられたことも星には思い出せない。  それどころか、母親の笑った顔もよく思い出せないほどだ……。 「お母さん……あんなに嬉しそうに……わ、私は……お母さんを困らせてばかりで……ごめんなさい」  そう小さな声で謝ると、星の瞳から抑えようとしていた涙が、止めどなく溢れ出てきた。  いつも遅くまで仕事をして疲れきって帰ってくる母親に、自分は何ひとつしてあげられないと、星はいつも気にしていた。  だから、自分にできることは何でもやった。洗濯や洗い物。買い物など、できる範囲でやれるだけのことをした――だが、あの少女はただ扉を開けただけで、あんなにも褒められている。  それを見て、ふと心の中に疑問が生まれた『自分はあんなに嬉しそうなお母さんに、褒められたことがあるのだろうか……』と――。  今思い返してみても、星の記憶の中の母親はいつもどこか寂しそうにしている姿しか思い出せない。
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