第五章

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 大丈夫だという事を分かってくれたのか、倭斗くんは浮かしかけた腰を下ろしたので、ひとまず胸をなでおろした。  でも、まだ倭斗くんのシャツをギュッと握っていたことに気付いて、慌てて手を放した。  そのあと倭斗くんは何も話をしないから、なんだか居心地が悪くて必死に話題を探す。 「そ、そう言えば、明日からみっちり稽古するって言ってたけど、華さんも武術を習っていたりするの?」  まさかと思いつつ尋ねたけど、倭斗くんの口からとんでもない言葉が返ってきた。 「俺の師匠」  事も投げに放った倭斗くんの言葉に度肝を抜かれた。  あんなに華奢で深窓の姫君のような華さんが武術を習っているだけでも驚きなのに、倭斗くんの師匠とはさらに驚きだ。 「華さんが倭斗くんの師匠? 倭斗くんより強いの?」 倭斗くんは力強く頷いた。 「だから言っただろ。冬眠し損ねたクマに出会っても大丈夫って。俺はまだ華に勝ったことが一度もない」  たったひとりで大の男を十人以上も、しかも何も武器を持たない状況で倒した倭斗くんの強さは尋常じゃない。そんな倭斗くんが一度も勝てない華さんの強さとは……。  ブルッと身震いした。 考えるだけでも恐ろしいけど、少しだけ羨ましく思った。  何十人もの男の人を倒すほどの強さを身につけなくても、足手まといにならない程度には強くなりたい。  そうすれば自分のせいで誰かが傷つかずにすむ。 包帯を巻いた倭斗くんの手に、自然と目がいってしまう。 知らず手が伸びていた。 指先が倭斗くんの手に触れた時、弾かれたように倭斗くんが手を引っ込めた。 「あ、ごめん、えっと、その……、手は大丈夫?」 「ああ、これか? 単なるかすり傷だって言っただろ」  あんなに血が出ていたのにかすり傷なわけがない。看護師さんも縫合したって言っていたし……。 「傷……残っちゃうかな」 「痕が残ったところでどうってことない。っていうか、痕が残ったとしてもそれはそれでアリかな」 沈む私の声とは対照的に、倭斗くんの声はとても明るかった。 「え?」 予想外の答えに顔を上げたると、バッチリと倭斗くんと目があった。 先に視線をそらしたのは倭斗くんだった。 倭斗くんはバツが悪そうに鼻の頭をポリポリとかいた。 「豊臣秀吉は自分で運命線を掘って天下を取ったくらいだ。俺もこの傷のおかげで徳川家康と同じ百掴みの手相になるかもな。それなら消えないほうがいいだろ?」  根本に自分が川上華子と嘘をついた時にも思ったけど、歴史に興味がないと言っている割には相当詳しい。そう言えば、颯太くんもそんなことを言っていたっけ。  だから非会員なんだろうけど。前にも聞いたけど、もう一度聞いてみる。 「歴史詳しいよね。実は興味あったりする?」 「ない」  短い言葉だけど、はっきりと断言した。  だよねぇ~。なら、どうしてこんなに歴史に詳しいのだろうか。  私の疑問を察したのか、倭斗くんがその理由を教えてくれた。 「華が聞いてもいないのに、話して聞かせるから覚えた。俺、一度聞けば覚えるから」  ああ、そうですか。さすが秀才は違いますね。  改めて、倭斗くんの有能ぶりを見せつけられる。 「優秀な倭斗くんなら、百掴みの手相なんて必要ないかもね」 「確かに、そうかもな」 たっぷり皮肉を込めて言ったつもりだったけど、まったく通じなかった。 「あっそ」  面白くなくてそっぽを向いた。 「でも、――を守れるなら、百掴みの手相でもなんでもいいから手に入れたい……」  初めて聞く倭斗くんの弱々しい声と、ノックの音が重なった。
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