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アオバはじっと静かに俺の話に耳を傾けてくれる。
俺はどうしてこんな話を、アオバに打ち明けているんだろう。そう思いつつも、なんとなくアオバに聞いて欲しいような、甘えたいような気持ちになって、俺は話を続けた。
「それでな……ある夜、いつもみたいに狸寝入りしてたんだ。そしたら俺の枕元で、母ちゃんがボソッと呟いたんだ」
「なんて?」
「『鉄がしっかり者でいてくれて良かった』って」
「……」
「もうね、しみじみと言うんだよ、これが。俺さ、母ちゃんが部屋を出ていってから、なんだか涙が出てきた。母ちゃんが不憫で、可哀想に思えて」
「……」
「母子家庭だったんだ。母ちゃん、えらい苦労しながら俺と妹を育ててたんだ」
「……」
「俺、もっとしっかりしなきゃと思ったんだ。もっともっとしっかりして、完璧で立派な男になって、家族を支えて、親に苦労かけないようにって」
俺は思わずフッと笑って、寝返りを打った。
隣のアオバと目が合う。
「だけど俺、全然たいした人間でもないでしょ。そもそも完璧な人間なんか、この世にいやしないんだけどさ」
アオバは困ったような顔で、曖昧に首を横に振る。
「なんか、空回っちゃったんだよね。人に心配や苦労かけちゃいけないんだって思ったら、悩みとか、辛いこととか悲しいこととか、その日から誰にも何も言えなくなって」
「……」
「自分はちゃんとやれてるのかって、そればっかり、いつも気になって仕方がなくて」
「……」
「だんだん息が詰まって、勝手に孤独になってさ。……だから、実家を出て東京に来たら、気が楽になったんだ。ひとりぼっちでも、自由があるから。それで母ちゃんに寂しい思いさせてんの。ひどいだろ、俺って……」
アオバは真剣な顔で、俺の話を聞いている。なんだかその目が潤んでいるような気がする。
急に気まずくなった。布団の端を掴んで引っ張り、顔を覆った。
「悪い、せっかく旅行に来てるのにこんな話――」
そう言いかけた時だった。
俺の頭に、暖かいものが触れた。
布団から顔を覗かせると、アオバが身を乗り出して、俺の頭を撫でていた。
「わかるよ、てっちゃん」
唖然とした。
アオバの表情や、俺の頭を撫で続ける手の動きが優しくて、暖かくて、俺は何故か動揺していた。
「わかるって、そんな――」
カッと血が昇る感覚――顔が熱くなった。その鼓動の高まりを俺は『怒り』だと思った。
アオバの手を掴み、思うままにまくしたてた。
「アオバはいいじゃないか。そろって乗馬をやるような仲の良い両親がいるんだろ? バイクを譲ってくれるような父親がいるんだろ? 前にそう言ってたじゃないかよ」
アオバは表情を変えずに、俺を見つめている。
「裕福な家で、恵まれて育って、お前自身も親をちゃんと大事にできるいい奴で、それで『わかる』って何だよ! 何がわかるんだよ――」
その瞬間、何かにぎゅっと体を圧迫されて、声が詰まった。
どういうことなのか一瞬わからなかった。
アオバが俺を布団ごと、固く抱きしめていた。
「……」
その腕の力強さのせいなのか、驚きのせいなのか、俺は呼吸も止まりそうになりながら、すぐ側にあるアオバの顔を見た。
「それでもオレにはわかるんだ。てっちゃんの孤独な気持ちが」
鼻先がくっつきそうな距離で、真剣な目をしてアオバは言った。
頭から冷水をかけられたような思いがした。俺は我に返って、口を開いた。
「……アオバ、ごめん。俺、ひがむようなこと言って」
声が震えた。
俺は友達に、なんてことを言ってしまったんだ。
これが俺の本音なのか。俺はアオバに、いつからこんなコンプレックスめいた感情を持っていたんだろうか。
混乱した。どうすればいいのか。アオバはきっと傷付いたに違いない。その表情を窺った。
だけどアオバは、俺の言葉に失望したような顔はしていなかった。
優しい目で俺を見つめ、
「いいよ」
と、ドキッとするくらい柔らかい声で言う。
その仏様みたいな優しい表情に、俺はぼんやりと、釘付けになっていた。
「もう寝な。明日も早いぞ」
アオバはそう言って、もう一度俺を布団ごとぎゅっと抱きしめた。
アオバの温もりが暖かくて、心地よくて、俺はそのまま黙って目を閉じた。
眠りに落ちる瞬間、額になにか柔らかい感触が当たったような気がした。
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