33人が本棚に入れています
本棚に追加
その主人の目が、ふと畳に投げ出された氷室の荷物に留まった。
たった一つの彼の荷物は、古びた小ぶりな革のトランクだ。
しかしその外側には、何かバンドで留めてある。
それを見るなり、主人が意外そうな声を上げた。
「おっ、こりゃあ“ヰーゼル”じゃなあ。それにカンバスかや」
老人が、ほうと息をつく氷室に目を向けてきた。
「絵を描きなさるか」
湯飲みを傾ける氷室の手が、ふと止まる。
胸の痞えを覚えた氷室は、主人を見ないまま、曖昧に答える。
「ええ、まあ……」
わざと茫洋とした笑みで答えた氷室だが、ふと気が付いた。
氷室は、マッチを擦る老人に率直な疑問を投げかける。
「でも、よくご存知ですね。“イーゼル”なんて、普通の人からは出てきませんよ」
「そうかいの?」
とぼけた顔で、即座にそう返す主人。
何食わない顔でストーブを点し、指先のマッチを吹き消した。
「わしも生まれていい加減長いでの、まあ色々と見た事があるでな」
そこで主人が話題を切り換えた。
「夕飯は六時でいいかや?」
どこかわざとらしい主人の態度。
イーゼルに触れたくないのかも知れないが、氷室に深く追求する気力もなければ、関心もない。
そのまま流れに任せ、氷室もうなずく。
「ええ、そうして下さい」
最初のコメントを投稿しよう!