ゼロ番街

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桑原は抵抗することも声を上げることもなく、うつろな眼差しを夜空に向けたまま半回転して、頭から波間に落ちていった。 桑原の姿が海底に沈むのを確認してから、男は作業着を脱いだ。ポケットの中に忍ばせたシリコンの本体と有機プラスチックの針で作られた注射器は、人の目に触れることがなかった。 反対側のポケットには重り用に拳ほどの大きさの石が入っている。 男は帽子をポケットにねじ込み作業着を丸めると袖で縛って海に放り投げた。作業着は小さな泡を残しながら東京湾の底に沈んだ。 男は作業着が沈むのを確認することもなく、海に背を向けて早足で歩きはじめた。 ウエアラブル端末で録音を再生する。「私が桑原です」音声を確認して、男は笑みを漏らした。「これでサーバーに侵入できる」男は呟いた。そして、その場から遠く離れることが最大の目的になった。
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