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旅の始まり
打ち寄せる波の音がする。
私はおぼつかない眼を瞬かせた。
まどろむ瞳が捉えたのは、広大に広がる青い海と、砂浜が反射する眩い光。
「……夢?」
「夢ではありません」
独り言に応じる声がして振り返ると、そこにはすっかり見慣れた、けれども実に飽きないくらいに美人な男性が立っていた。
「風間さん」
「おはようございます」
ぼうっとする私に風間さんは微笑んだ。
やっぱり、いつ見てもかっこいいなぁ。
(イカン、イカン!)
私はブンブンと首を横に振って、惚けてしまった自分の気を引き締めた。
「ここは? 私達、どうして海にいるんですか? たしか、大きな音が響いて……そうだ、みんなは!?」
質問しているうちに色々思い出してきて、つい気持ちが高ぶった。
風間さんはそんな私とは対照的に、とても落ち着いた様子で微笑んでいる。
「落ち着いてください」
そう言って、私の隣に座った。
目を合わせて、子供に言い聞かせる時のような瞳を向けられた。
「谷中様が意識を失っておいでの間、周辺を捜索いたしました。ここは、倭和ではありません」
「え?」
「ここは、どうやら永(エイ)です」
「――永?」
永って、確か……最南端の国だ。
倭和国にいたはずなのに、どうしてそんな国にいるの?
「私が意識を失う寸前に見たことなのですが、どうやら、私達は谷中様に救われたようです」
「え?」
「谷中様の叫び声が聞こえた瞬間、貴女から白い光が放たれ、白い光の球体……と言って良いのでしょうか。それに包まれたのを覚えています。そして、同じように包まれた雪村様が、私と別の方向に飛んで行ったのを見たのを最後に意識がなくなりました」
「……他の人達は?」
「他の方もおそらく、バラバラに飛ばされたかと……。目覚めてから周辺を探してみましたが……」
そう言って、風間さんは首を横に振った。
そうか、誰もいなかったんだ。
これから、どうすれば良いんだろう? 屋敷はもうないし、それになんで攻撃なんて受けたんだろう。
あの人は、魔王を殺さなきゃとか言ってたけど……。
「あの、そもそもどうして私達攻撃を受けたんでしょうか?」
私が尋ねると、風間さんから一瞬ぴりっとした空気を感じたような気がした。
「あの人、魔王を殺すって言ってましたけど……」
私は試す気持ちで訊く。風間さんは苦笑した。
「魔王の存在を救いと見る者もいれば、邪悪と見る者もいるのです。魔王とはエネルギー態ですから。使う人によって左右されるものです。なので、彼や彼の一族のように、危険とみなす者もいるのです」
「……なるほど」
危険だから殺してしまえ、そういうことか。
野蛮な考え方だけど、ありえることな気がする。
あの結界は、もしかしたら彼らから私、こと魔王の存在を隠すためのものだったのかも知れない。
でも、なんか引っかかる。
風間さんは、何かを隠している気がする。
私はちらりと風間さんを窺い見た。
海辺の風間さんの肌や髪は、キラキラした波や白浜の反射で白く光り、天使のように輝いて見えた。空色の瞳がガラス球みたいにキレイで、潤んでいるように見えて、思わず胸が切なくなった。
「――って、しっかりしろ!」
「なにか?」
「いえ、なんでもありません!」
ハハハと、苦笑する私に、風間さんは不思議そうに首を傾げた。
つい、独り言を……。気をつけよう。
(それにしても、バカだな。私、踏ん切りつけたはずなのに……)
ううん。違う。風間さんがキレイすぎる顔してるからいけないんだ。この美しい人を見て、ときめかない女の子はいないって。
「……これから、どうしましょうか?」
「功歩に行きましょう」
風間さんは立ち上がって、海辺とは反対方向へ顔を向けた。
功歩というと、私の中では悪いイメージしかない国だ。クロちゃんの祖国、美章を侵略したり、アニキの守ってる岐附国に戦争をけしかけたり、戦争大好きな困ったちゃん、そういう印象の国だ。
「どうして功歩なんですか?」
正直言って、イヤだなぁ。
荒くれ者がたくさんいそうだし、治安も良くないようなイメージがあって怖いもん。
「私が功歩の人間なので、功歩に帰国しようと思いまして」
「……え!?」
うそでしょ。
「……意外ですか?」
風間さんは苦笑を浮かべた。
ええ、意外です。意外ですとも。功歩の人は、もっとこう……好戦的な人なのかなと思ってたから――なんてことを風間さんに言うわけにはいかない。私は首をふった。
「いえ、そんな」
「良いんですよ」
風間さんは何ともないように笑って、
「もし、先の戦いの話をお聞きになられたのでしたら、功歩の者は野蛮だと思われてしまうのも、無理からぬことと存じます」
「いや……」
私は思わず苦笑してしまった。
だって、そのものずばり思ってたもん。
「三条家は元々、流浪の一族で、あらゆる国を渡り歩いておりました」
「へえ……そうなんですか」
「ええ。私が九歳の頃なので、十五年前に功歩にやってきて、そのまま功歩の戯(ギ)王に仕えました。なので今は功歩の人間なのです。ちなみに功歩は代々戯王と名乗り、王の本名は伏せられます。今は十五代目の戯王ですね」
「へえ」
「十五代戯王が戦好きなためか、私が生まれる前から功歩は戦を行ってきましたが、千葉と爛は先の大戦が起きる前にも何度か戦をしていましたし、岐附も前王の時代は戦好きで有名でした。功歩の人間だって、野蛮な者ばかりではありません。岐附の人間も、千葉の人間も、爛の人間も、変わらず等しく人間です。どこの国の者でも、野蛮な者はいるものです」
たしかに、その通りだな。日本にいた時だって、色んな人はいたもんな。どこの国にも最低な人間はいるし、どこの国にも親切な人はいるんだろう。
変わらず等しく人間……か。私は感銘を受けたような気分だったけど、風間さんの言い方が、少しだけ引っかかった。
どことなく、憎しみのような、悲しみのような、そんな口調だった気がしたから。
「あの、でも倭和国には戻らないんですか?」
「あそこに戻ってももう意味はないかと思われます」
「どうしてですか? あっ、屋敷がなくなったから?」
「まあ、それもありますが。皆バラバラに飛ばされた以上、それぞれが自力で自国へ戻ると思いますよ。あそこは一時的に倭和政府に借りていただけなので。いったん自国へ戻った後貴女を探すかも知れませんが」
そっか。ああは言ったけど、まだ私の中の魔王は諦めてないかも知れないもんね。
屋敷もなくなっちゃったし、倭和に戻っても居場所がないんじゃ、私も功歩に行くしかないのかな。
「あの、私も功歩に行っても良いですか?」
「ええ、もちろんです」
風間さんはにこやかに頷いた。
「では、まず服を着替えましょう」
「へ? どうしてですか?」
「千葉・爛・岐附は、着物(ハフル)を着るのが一般的で、美章・功歩・瞑は、洋服(キフル)を着るのが一般的です。ですが、ここ永は、中華服(チュフル)を着用しているので、他の服を着ていると目立ってしまいます」
風間さんの説明を渋い声、魔王が自動で訳した。
ハフルは、着物。キフルは洋服。チュフルはチャイナ服だそうだ。
まだ不気味だけど、感謝の念がほんのちょっとだけうまれるくらいには余裕が出てきたみたいだ。
「なんで目立っちゃいけないんですか?」
「う~ん、そうですね。いけないことはありませんが、私達は今、入国証(ゲビナ)を持っていなので、不法入国状態なのです。これで警官(サッカン)に捕まると厄介です」
「そうなんですか。でも、事情を説明したらどうでしょうか? 大使館とかはないんですか?」
「……大使館ですか?」
風間さんは、聞いたことのない単語を聞いたみたいな、きょとんとした顔で首を傾げた。
この世界に大使館はないみたい。
「なんにせよ、事情を説明するわけにはいきません」
「なんでですか?」
「魔王がバレます」
おう。そっか。
「でもそもそも魔王ってバレちゃいけないものなんですか? あっ、倭和で殺されかけたし……タブーとか?」
「いえ。混乱が生じますし、そもそも谷中様が魔王だと言っても、信じてもらえないでしょう。そのまま密入国として裁きを受けることになるでしょうね」
そっか。風間さん達も半信半疑で呼び出したって言ってたっけ。魔王ってそもそも、お伽話のレベルだったって。
「あの、ちなみに裁きってどんな?」
「永の裁判はもっとも厳しく、公平であると言われていますが、刑罰も厳しいものだと聞き及んでいます。隠密(スパイ)防止のため、密入国者は死罪になることが多く。運が良くても十五年以上は出られないでしょう」
(マジで?)
「……着替えましょう」
「そうしましょう」
掛け合いのように言って、風間さんは微笑む。
風間さんって、きっと、笑うってことが癖なんだな。
私は、今笑う気にはなれなかった。まだ死にたくはないもの。
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