タイムジャンクション

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タイムジャンクション

 ――――前日、7月18日、木曜日。  携帯電話の待ち受け画面。それは、17時58分を表示していた。送話器は今、女の鼻歌を聞かされている。創作という名のラフな曲。絵でいうところの、まっさらな紙にデッサンを描く。その1本目の線といった作業。 「♪〜〜♪〜〜」  クールダウンした夏の夜空の下。歩道を通り過ぎるたくさんの靴たち。彼らがくぐもった不規則な騒音を巻き起こす。湿った空気に、女の香水が1日の終わりをにじませる。朝とは違った夜色に移香(メタモルフォーゼ)して。 「♪〜〜♪〜〜」  不機嫌な車のクラクション。横断歩道の白の規則的な縦線。それらの上で信号が青でゴーサインを出した。タクシーが大名行列のように続けざまに滑り込んでくる。国の首都にある主要駅。そのロータリー。 「よし、OK!」  さっきとは全然違う、低めの声が元気よく響いた。歌うと高音域を出せる、ミックスボイスが売りのシンガーソングライターを目指している、刻彩(ときいろ) 瑞希(みずき)、23歳。彼氏いない歴1ヶ月。意外と短い。もちろん、独身である。 「あとは家に帰って、PCにデータ取り込んで……。今のはサビだけだから、残りを作れば……」  彼女の白いサンダルはリズムを刻んでいたが、歩道の石畳にハの字を描いて止まった。用済みの携帯電話は、斜めに肩がけしているアウトレットのバックのポケットにポイっと入れられ、息をひそめた。 「さてと、バイトも終わったし、いつも通り――」  その時だった、瑞希の運命が革命(ルネッサンス)を起こしたのは。駅のホームへ発着する電車の音。人々の話し声。車の走行音。ざらついた様々な騒音を追い払うように、聖堂の鐘のような重厚感があり、荘厳(そうごん)で神聖な音が突如鳴り響いた。  ゴーン、ゴーン!  わざと2重がけしたハートのモチーフの長めのネックレス。と、まるでどこかの国の王女さまみたいなバラの首飾りチョーカー。それらは、驚きという動きでビクついた。 「え……?」  そうこうしているうちに、まるで水分の多い絵の具を垂らしにじませるように、端の方から、黄色とピンクが夢の世界へ導くように、地面に宙に空に全てに広がってゆく。街明かりも、星の見えない夜空も、駅へ吸い込まれてゆく人々も、現実というべきものはすべて姿をかき消された。 「ん?」  キラキラと光り輝く、七色のシャボン玉。銀の細い棒をつるした楽器、ウィンドチャーム。それが、シャラシャラシャラン! と、きらめきの響きを奏でる。  瑞希の紫のタンクトップを縁取っているクリーム色のレース。それが、落ち着きなく前後左右に動く。いわゆる挙動不審。そして、言葉は支離滅裂。 「いつの間にか眠った?」  どんな就寝の仕方だ。おそらく、こうだ。吹き矢で、首筋にプシュッと、眠り薬を塗った矢を射られて、パタンと眠りの底へ落ちる――いや、倒れるが正しいだろう。  だがしかし、人の渦のような大都会の真ん中で、そんなことをしたら、手練(てだ)れの刺客でないと、別の人にヒットしてしまう。  瑞希は激しくまぶたをパチパチ。開閉を繰り返す。そうして、結論、いや、めちゃくちゃという泉から、自力で陸へはい上がった。 「ううん、目は開いてる」  夢の世界ではない、バラ色の人生という言葉が似合いそうな空間。瑞希は1人切り取られ、閉じ込められ、まわりには人っ子1人いない。彼女の桜色のミニスカートは、歩道の柵から立ち上がったり、座ったりを今度はリピート。  ジャンッ!  という、クイズ番組で出題される時のような音ともに、鮮やかなピンク、マゼンダ色で、こんな文字がいきなり目の前に出てきた。  1.CDショップに寄って行こう  2.高級ホテルのラウンジに行こう  3.楽器店に寄って行こう  4.地下鉄じゃなくて、地上の電車に乗って帰ろう  5.友達からの電話に出る  6.高層ビル群に行く  7.人気のない高架下をくぐろう  8.ここにしばらくいよう  9.本屋に寄って行こう  誰が何のために、こんな悪戯をと思って当然。だったが、瑞希は崩壊、いや、ただのそれではない。悲劇的な崩壊。カタストロフィへと真っ逆さまに落ちてゆく。  その地の底で見た悪夢(ナイトメア)はこうだった。  彼女の白いローヒールサンダルは、右に左に行ったり来たり。裏拍をわざと強拍にしたリズムを刻んで、縦に引かれた3本の線を、両足で素早くキャッチする反復横跳び。  1、2、3、4、1、2……。  彼女の背中の真ん中まである、チョコレートに少しミルク混ぜたようなブラウンの長い髪は、振り子のように揺れに揺れていた。 「見間違い?」  いつまでも来ない、スポーツテスト終了の合図。瑞希の足はもつれにもつれ、呼吸は乱れに乱れ、息が上がってゆく。 「はぁ……はぁ……」  乙女チック満載な空間で、まるで妖精に死ぬまで踊らされ続ける魔法をかけられたように、最期(さいご)の時へ向かってゆく瑞希。だがしかし、天から救いの声がやって来た。 「見間違ってねぇって!」  砕けに砕けた、イケイケな口調。ツッコミという方法で、瑞希を反復横跳びの呪縛から解放した。 「っ!」  だが今度は、驚きという静止画になった、彼女のクルミ色のどこかずれている瞳は。少しかすれ気味の陽気でひょうひょうとした声が響く。 「ほらよ、選択肢――っつうか、分岐点きたぞ」  予告なしの急展開。普通に家に帰して欲しいところだ。だが、さっきまで広がっていた都会の喧騒はどこにもない。黄色とピンクを背景にして、シャボン玉がフワフワと飛んでいる夢見心地の世界。閉鎖――いや、誘拐、監禁された異次元。  帰りたいのに、帰れない~である。いろいろ突っ込みたいところ。瑞希はここから手をつけた。 「誰の声ですか?」  普通に通過してしまった。他にもっと重要なことがあるはずだが、またボケ倒し、いや違う。わざとやっている彼女は。態度デカデカで、空から声が降ってくる。 「天の声だ」  非現実。ファンタジー。怪奇現象。はたまた心霊現象。聞こえないはずの声が聞こえてくる。普通はもっとうろたえるだろう。しかし、瑞希はなぜか難なくスルー。  彼女は座っていただろう、歩道の柵があったであろう場所に、何の迷いもなく再び腰を下ろした。すると、そこに大きなシャボン玉クッションが現れた。乙女チック全開。 「神さまとかですか?」  残念そうなため息が響いて、相手のテンションが少し下がった。 「あぁ〜、ちょっと(ちげ)ぇな」  香水の香りを振りまきながら、シルバーの細いバングルが、瑞希に近づき、頬杖をついた。 「じゃあ、どんな人……?」  彼女の視線は、右に左にカメラ目線を送る。下から見上げる、いわゆる上目遣いで、ちょっとダークなにらみを効かせてみる――ガンを飛ばす。いつまでたっても先に進まない話。お叱りの言葉が降ってきた。 「いやいや! そこまで笑い、まだ取らなくていいんだって。いいから、そこはすっ飛ばして、選べって!」  誰が従えるものか。瑞希は唇を悔しそうに噛んだ。強制終了させられた、お笑いの前振りに不服で。彼女の怒りはヒューッと上がった花火のように、声の主がいるであろう上空で爆発した。 「――っていうか、これは何かのシミュレーションゲームですかっっっ!!」  そうだ。そうと言わずして何と言うのだろうか。だがしかし、相手の方が1枚も2枚も上手だった。少し声のトーンが低くなって、遠くの地震のように、静かに説教がやってくる。 「人生ってのは、選択の連続だかんな。デジタルに見やすくしてやったから よ」  やけに、説得力のある言葉。確かにそうだ。どれを選ぶかで、未来はいくらでも変わる。道筋が不鮮明で、まるで霧に煙る雑木林の中で迷うように悩む時もある。  ありがたい話だ。未だに、目の前に浮かんでいるマゼンダ色の選択肢の文。 「え〜っと、簡易セーブは?」  ゲームの世界から抜けられなくなった瑞希。というか、彼女はゲーム好きである。コントローラーのボタン1つ押し込んで、分岐点前でパパッとセーブ。そうして、間違えたら、そのデータを読み込む、という手段だ。  当然な言葉が、説教でやってくるが、瑞希がゲームの世界から引き上げて来ないがしばらく続く。 「人生にやり直しはきかねぇって」 「じゃあ、会話履歴は?」 「いやいや! 過去には戻れねぇんだよ。聞き逃したら、そこで終わりだって」 「バッドエンディングは?」 「あっかもしんねぇな。人生は命がけだかんな」  恋のお相手に、誤って殺されてバッドエンディング。説明書の不備があって、何をどうしていいのかわからないうちに、勝手にやる気がないとゲーム内で判断されて、強制終了。  確かにそれもある。いや、現実、人生は一寸先は闇。1秒後どうなっているかは誰にもわからない。そこで、瑞希の右手がパッと上がった。そうして、こんな意見をする。 「待ってください! バッドはありません! どんなことでも意味があります! 何でも前向きに取ることが大切だと思います!」  そう、その闇はいい闇かもしれない! 「いいこと言うじゃねぇか。おしっ! 神さま〜! うほぉーっ! の御心(みこころ)を――」  まるで回転つきで上にジャンプして、興奮している人が叫ぶみたいな声が聞こえてきた。相手の反応が予想外で、瑞希の表情はすっと真顔に。 「え? 何で『神さま〜! うほぉーっ!』だけ、テンション上がりまくりなんだろう?」  何かを暗示しているような大はしゃぎっぷり。だったが、さっきから全然話が進まない状況に、天からまるで伝説の剣、エクスカリバーで叩き切るように、ツッコミが軽やかにやってきた。 「――っつうか、時間にマキ入ってっからよ。瑞希、行け」 「しかも、何で、私の名前知って――」  それでも進まない話。ぶつくさといつまでも言っている瑞希の背中を、足で前に押し蹴りするように、矢継ぎ早に言葉が放たれた。 「いやいや、早くしろって。進まねぇだろ。昔と違って、ずいぶん物わかりよくなくなったな」  初対面のはずなのに、こんなことを言われた瑞希。目の前をフワフワと飛んでゆくシャボン玉の七色の光をじっと見つめる。 「ん? 昔? 知ってる人? こんな知り合いはいなかった気が――」 「いいから、早くしろって。いろいろ、おかしなの待ってんぞ」  やけに引っかかる言葉。ハイスペック、イケメン、王子さまとかではない。乙女の心を1mmもかすりもしない単語。『おかしなの』。瑞希は額に手を当てて、思いっきりしぶった。 「選びたくないなぁ〜。おかしなのは遠慮した――」 「いいから、選べって〜〜っっ!!!!」  カラオケのエコーのように、何重にも語尾が響き渡った。音の波紋の真下で、瑞希はビクッと肩をすくめる。 「な、何か逆らえない感じだから、え、選ぼう」 「おう、そうしろよ」  この分岐点を回避する、の選択肢はなかった。絶対服従にされた瑞希。彼女の白のサンダルは、空中で前後に揺れるパタパタと。クルミ色のどこかずれている瞳に、もう一度、マゼンダ色の文字を映した。  1.CDショップに寄って行こう  2.高級ホテルのラウンジに行こう  3.楽器店に寄って行こう  4.地下鉄じゃなくて、地上の電車に乗って帰ろう  5.友達からの電話に出る  6.高層ビル群に行く  7.人気のない高架下をくぐろう  8.ここにしばらくいよう  9.本屋に寄って行こう  店の種類。高級ホテル。高層ビル。高架下がある場所。今はなぜか見えなくなってしまった、さっきまで広がっていた風景。それらを思い返しながら、瑞希は黄色とピンクの夢心地の空間を見渡す。 「ん? これって、古宿(ふるじゅく)駅周辺のことだよね?」 「下調べはバッチリだからよ」  天から得意げに返事が返ってきた。突っ込みどころ満載なのに、瑞希は思いっきり普通にスルー。 「あぁ、そうですか」  湿った空気が気だるく寄りかかる夏夜(なつよ)。じんわり汗ばむ素肌。立ち仕事の宿命、辛い足の痛み。焦り屋の瑞希の腕には、引っかき傷や打撲の痕。それらを感じながら、彼女は顔を真正面へ向けた。 「今日は疲れたから、家に帰りたい……帰る選択肢?」  9個選択肢はあるが、帰宅につながるものは、たった1つしかない。運命に導かれるように、瑞希は元気よく選んだ。 「じゃあ、地下鉄じゃなくて、地上の電車に乗って帰ろう!」  ピポーンッ!  と音が鳴り響き、以下の文字が数回点滅。  ――――4番選択。  やっと物語が進み始めた。天から、少し枯れた感じだが、ノリノリの声で送られるエール。 「よし、行ってこい! 瑞希」 「よっしゃー!」  瑞希がガッツポーズを取ると、黄色とピンクの景色は、光の粒子となって、砂浜から引いてゆく波のようにふわっと消え去った。再び戻ってきた雑踏。人々の靴底という打楽器の騒音。星のささやきをさえぎる店の看板の明かり。  現実へ引き戻された瑞希は、声のボリュームを独り言にまで絞った。 「って、ノリはここまでにして……」  なぜか、ここだけ、瑞希の言葉が棒読みになった。 「今日はまっすぐ帰ろう。ここから、地下鉄の改札とYR線の改札どっちが近いかな? んー、あの人の流れ……1、2、3、4つかな? を通り越す……。それは大変だから、今日はYR線で水袋(みずぶくろ)駅で乗り換えて帰ろう」  しっかり斜めがけしているアウトレットのバックの外側のポケットに手を突っ込む。 「チャージ入ってたよね?」  乗車カードと一緒に入っていた携帯電話が少し傾いて、18時ちょうどを知らせていた。それを見ることもなく、瑞希は柵からパッと立ち上がる。 「入ってなかったら、おとなしく地下鉄で、定期券で帰ろう」  さっきまでの長い話を、闇に(ほうむ)り去りそうなことを言いながら、瑞希は流れている人ごみを通り抜けられる隙間をうかがう。即行、天からツッコミ。 「別の選択肢はねぇから、チャージして乗れって。そこは自腹な」  理不尽すぎる。行き止まりへ追い込んだあげく、身を切れと言う。瑞希はやる気をすっかり失って、自分のサンダルに視線を落とした。 「何だか、私の人生、人に決められたレールの上を走ってる気がする……」  ビルに四角く切り取られた星空を見上げて、ささやき声ながら、思いっきり暴言吐きまくり。 「――っていうか、定期券使って地下鉄で帰りたいわっ! 余計な出費だ! 戻せ、戻せっ! 私の人生を返せっっ!!」  いつも地下道を通って、もう1つ向こうの駅で、地下鉄に乗る瑞希。文句の1つも言いたいだろう。すると、こんな事務的な言葉が落ちてきた。 「それは、企画書からはずれっちまうかんな、却下だ」 「企画書? 何の?」  横向きに流れていた人ごみで、急に立ち止まった瑞希に、他の人たちが容赦なくぶつかってきた。しばらく待ってみたが、返事はもう返ってこない。  瑞希はあきらめて、軽く吐息をもらした。 「はぁ〜」  人という川に流されないように、彼女は足をしっかり。ではなく、貧乏ゆすりみたいに小刻みに落ち着きなく1歩ずつ出して、駅の改札に向かって進んでゆく。 「っていうか、誰の声?」  慣れという名の反射神経で、縫うように直角によけ続ける。 「子供の声なんだけど……態度でかいよね?」  そうなのだ。さっきから聞こえてきてたのは、やんちゃで自信満々の子供の声だったのだ。それなのに、人生を語ってくる。しかも、説教っぽくありながら、人をうならせるような説得力のある様子で。  相手がどこの誰だか気になるところだ。だが、一方的に動かさせれている以上、聞くこともかなわない。姿なき縦社会。  ブツブツと文句を言う瑞希の声が、どんどん小さくなり、人ごみの向こうにある駅構内へと入っていった――――
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