あなたを好きでいたいよ

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あなたを好きでいたいよ

「日生くん」 社内の廊下を部下と歩いていた克は、 上司からの声に振り返った。 部下に先に行ってくれと合図し、 カーネルフランダースを思わせる風貌の上司に歩み寄る。 (陰口などを叩く輩は、カーネルと呼んでいる) 「野中常務、このたびは(昇進)おめでとうございます」 「ありがとう」 野中常務。歳は、還暦に近い。 恰幅よく一見温厚に見え、実は腹に一物ある男。 新人時代の同期、長野昌行、(今は妻の)上條紫織と、 過去に彼の部下だった時期もある。 克自身は、社内派閥に巻き込まれることもなければ、 敵視されることもなく、常に中立だった。 あくまで自分は、仕事をしに来ているのであって、 それ以外の事は関知するところではない。 本心から思っている。 人当たりよく笑みを作りながら上司は、言った。 「社内報、読んだよ」 「あぁ、あれですか」 克は、意外な言葉にやや間を置いて苦笑した。 社内報のことを言われるのは、この上司で何人目になるだろうか。 「君は、いい夫のようだ」 「まだまだですよ」 先週刊行された社内報は、ネタにつまったのか、 変化球にも、結婚や配偶者とのなれそめ、理想の家庭について等を、 インタビュー形式に盛り込んできた。 僕は、社内で家庭のことを話さない。 家族にすら暑苦しいと言われがちなんだ。 それを他人の前で出してどうする。 僕の愛情は、家族にさえ伝わればよく、 結婚してから僕が家族を守るのだと頑張ってきた。 そして娘が生まれて気づいた事がある。 僕もまた、紫織や娘から幸せを与えられているのだと。 「君の奥さんは、…上條くんと聞いたが」 「そうです」 「君達は、幸せそうだな」 まるで自身の子供夫婦かのように目を細めて言うと、 上司は、無言で肩に手を置き、そのまま克を置いて歩き出した。 ……幸せそうか。 一人残された克は、窓から空を見上げ、 紫織と初めて会った日に思いを馳せた。 まだあどけない彼女が脳裏に浮かぶ。
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