あなたを好きでいたいよ

42/58
前へ
/58ページ
次へ
「…親父が死んだ」 「え?」 重く心にのしかかった出だしに言葉を失くした。 もう泣かない。 何を言われようと何をされようと、元恋人の、 この人の前では泣かないと思っていた。 ほんの、さっきまでは…。 つかず離れずの距離でわたし達は、歩いた。 昔つないでいた手には、結婚指輪。 自信はなかった。 今の自分で、昌行に会って大丈夫か。 以前彼が訪ねてきた時には、ヒナがそばにいたから。 あふれてきた涙を隠した大きな手…。 一線を越え、隣で眠るようになっても、 わたしはまだ覚めぬ夢に取り残されることはあった。 何もない宙に手を伸ばして起きると何も言わず…、 背中からそっと優しく抱きしめてくれた。 二人きりで会っているのに不思議と心は、落ち着いている。 あんなに苦しくてたまらなかったのが嘘のように…。 夢にうなされて泣いて目が覚め、薬がないと眠れないほどだったのに…。 あの“苦しさ”は、わたしの胸を支配しない。 もう大丈夫なんだ。 昌行の後ろを歩きながら感じていた。 やがて歩く道すがら遊歩道を見つけ、座れよとベンチに促された。 ぎこちなく間を開けて隣に座ると何も話さない。 待っているとようやく彼が沈黙を破った。 突然の訃報と共に…。 「おじさんが…?」 そう言えるまで3秒くらい間があった。 昌行のお父さん。 子供の頃からわたしもよく知っている。 地元の代議士で代々長く続く地主さんでもある。 わたしの実家も、両親が経営している旅館も、 昌行のお父さんの土地に建っていた。 おじさんとあまり接した記憶はない。 広いお庭で昌行と遊んでいた時、離れの別宅で、 秘書らしき女性といるのを時々見た程度。 「…ごめん。知らなかった」 「いい。葬式には、出たけど俺も二度と親父に会う気はなかった」 「そんな言い方…」 おじさんがかわいそうよと言うのを遮り、言葉が続く。 「葬式で紫織のおふくろさんに会った…。これを渡してくれと頼まれた」 彼がスーツの胸ポケットから取り出したのは、半分に折られたハガキ。 受け取って開くとそれは、最近わたしが両親に宛てて出したもの。 内容は、近況や現住所、携帯など結婚したい人がいるので、 会ってほしいという旨が書かれていた。
/58ページ

最初のコメントを投稿しよう!

78人が本棚に入れています
本棚に追加