二合目の防空壕

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 生を受けてから高校を卒業するまでの時を私は函館で過した。昭和二十五年から四十三年にかけてである。当時の函館市は北洋漁業の基地として活況を呈していた。北洋漁業とは母船式北洋サケ・マス漁業のことである。母船一隻がおよそ十隻の独航船を従えて船団を成す。それが数十集結し、大船団群となってオホーツク海やベーリング海の漁場を目指すのである。漁場に到着すると独航船が漁を行い、漁獲物は母船に揚げて加工処理をした上で巨大な冷凍庫に保存する。作業はこのように完全分業制で決められた日まで休みなく繰り返されるのである。一度出港すると長ければ半年もの間、乗組員たちは遥かな海原の上で男ばかりの暮らしを強いられるのである。  小学校五年生のとき私は友達と連れ立って海に突き出た部分にあたる函館山に登り、山頂から森の中を少し下った所にあった私たちの秘密基地から、北洋船団の出港を眺めたことがある。おびただしい数の独航船が、紺碧の空の下、ヴォリュームを最大に流行歌を流しながら大漁旗を潮風になびかせて岸壁を離れていく。独航船は三列程度の隊列を組んで、後方に白波を広げながら整然と沖合いに待機する母船の元に馳せ参じるのである。その姿はなかなか勇壮で、見ているだけで気持が高揚してきたことを思い出す。     
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