二合目の防空壕

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 辛かった時代を忘れたいという大人たちの心が、子供たちをそのような場所に近付かせまいとして言わせた戯言に違いなかった。勿論私たちはそんな話には耳を貸さなかった。時空を異にしたような防空壕のある風景は、腕白盛りの私たちを神秘的な力で誘惑した。そしてその誘惑に打ち勝つことができる子供など誰一人としていなかったのである。そんなことは初めから判りきったことだった。学校が休みになる度に、私たちの防空壕探検は続いたのだった。函館山の裾野近くで生まれ育った私と同年輩の男子で、防空壕遊びの興奮を知らない子供などひとりもいないと断言して良いように私は感じるのだ。       2  七月の二十五日から北海道の小・中学校は一斉に夏休みに入る。八月十八日までわずか二十五日間の短い夏休みである。それでも私たちにとってそれは待ち焦がれた夏休みだった。雪に閉ざされる寒くて辛い冬と違って、夏休みならば何でもできるような気がした。海水浴だってできるし、炊事遠足に出かけたっていい。虫採集だって一日中続けることもできる。それに、防空壕探検さえも毎日のようにすることができるのだ。  七月二十四日。終業式。私たちは一学期の通信簿をもらうと、皆それぞれの思いを胸に家路を急いだ。明日からの夏休みを有意義に過すため、今日だけは少し良い子になって通信簿を親に見せ、評価を受けなければならない。成績が良ければ問題はないのだが、運悪く不本意な成績に終わったものは両親による叱責が待ち受けている。けれどここで迂闊に反抗的な態度を取たりしようものなら明日からの夏休みが台無しになってしまう。皆そのことは良くわきまえていた。  この日私たちに必要な言葉は三つしかなかった。 「ごめんなさい」「わかりました」「がんばります」  この三語である。     
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