愴鳴曲

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「そして、恐れられていた」  椿の言葉に絶句する。氷室は椿の黒々とした大きな瞳に今は亡き友の姿が浮かぶのをはっきりと見た。春逞。アレは雪の中置き去りにされた人の頭上に輝く月のような男だった。太陽のように暖めてもくれず、ただただ自身の美しさを誇示するかのように青い光を放っている。それでも人はその柔らかい光に心を奪われ慰められる。だが、やがて気づかされるのだ。美しい光に晒された自分自身の惨めさに。凍える体に打ちひしがれ、あかぎれた手をいくら天に伸ばそうとも手に入れられず、自分が孤独だということを思い知らされる。  容姿のよく似た椿でさえ、春逞の情け深くて残酷なあの美しさには到底叶わない。春逞の笑顔が、いや、存在そのものが人の心を極寒の中へと突き落とす。その冷たい氷の下で、あいつさえいなければ、あいつにさえ出会わなければと、誰にも悟られないよう呪いの言葉を吐き続けるのだ。そう、みんな春逞を愛していた。愛するが故に憎み恐れていた。彼の命が失われるのを強く願ってしまう、それほどまでに。 「すまない、春逞、すまない」  氷室は目の前の椿が春逞であるかのように謝罪の言葉を口にした。 「すまない、すまない、すまない」     
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