愴鳴曲

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 頭を垂れ永遠と謝り続ける氷室を尻目に、やがて椿は静かにその場を後にした。  自分が死んだ父親の亡霊に過ぎないと思い知った椿は次第に自分を形作るものの輪郭を見失っていく。自分が何をして楽しいと感じるのか。自分が何を見て嬉しいと思うのか。自分がされて嫌なことは何なのか。自分は何でこんなに悲しんでいるのか。  微睡みに似た精神状態、ふとした瞬間に自分が広がり世界に溶けていく。大空を舞う白鳥、高山に咲くエーデルワイス、水の底から湧き出る気泡の一粒。無限に膨張していく自分が何にでもなれるような気がしては、地に墜ち、風に散り破裂して、自分は何にもなれないことを思い出し、朝比奈椿という虚ろな人のカタチに戻っていく。輪の中に捕らわれた悲愴を永遠と租借する、そんな日々を過ごしていたときだ。椿が鷹栖譲と出会ったのは。  椿が中学三年生、譲が大学四期生の秋。警察官採用がほぼ確定し四月の警察学校入学まで暇になっていた譲が椿と聖の勉強を見るようになったことがきっかけだった。     
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