愴鳴曲

7/29

21人が本棚に入れています
本棚に追加
/309ページ
 アンニュイな男。垂れ目でいつも眠たそうな顔の譲を見て、椿は第一印象でそう感じた。もしかしたら自分と同じで世界と隔たりを感じている人種なのかもしれないと。だが接しているうちにそうではないことを知る。芸能人やファッションなど、いわゆる流行的なものにあまり興味を示さないため、古い時代の書生のようなストイックで浮き世離れした雰囲気を持ってはいるが、それでも別に世間を斜に構えてみているわけでもなく、ましてや、椿のように世界に絶望しているわけでもなかった。勉強の教え方も丁寧であり、椿や聖の疲れを敏感に感じ取りさりげなく休憩に誘うなどとても気づかいのできる青年だった。そして何より椿の気を引いたのは、彼女が希に体験する他人の感情や記憶を抽象的なイメージで受信する現象が、譲に限っては全く起こらないことだった。椿の人生に置いて、これだけ頻繁に会って、その現象に遭遇しなかったのは譲が初めての相手だった。椿が譲のことを自分にとって特別な存在だと感じ始めるのにそう時間はかからなかった。  先生が勉強を教えに来てくれる日は朝から気分がよかった。先生が帰って行くのを見送るとき、もっと一緒にいたいと思った。  椿は譲と触れあうことで、見失っていた自分を少しずつ取り戻していく。そして三月、中学を卒業した椿の方から譲に告白した。 「先生、好きです。付き合ってください」  譲は迷った。椿のことは可愛いと思うけど、それはおそらく妹みたいな感覚なんだろうと思ったからだ。ただ気がかりなこともあった。それは椿が心に孤独を抱えていたこと。  椿と母親の関係がよくないことを譲は自分の従兄弟で椿の親友でもある美雪から聞かされ知っていた。美雪にそれとなく力になって欲しいと頼まれ、その延長上で家庭教師を引き受けていたのだ。週に数回、半年という短い期間勉強を見てきた程度の付き合いだったが、確かに母親が椿に対して嫌悪感を抱いているとその言動の端々から見受けられる場面を幾度と目撃した。そしてそのことが椿の心に根深い影を作っていることも譲は気づいていた。ほっておけないと思った。見守ってやりたいと思った。     
/309ページ

最初のコメントを投稿しよう!

21人が本棚に入れています
本棚に追加