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「俺も四月から警察学校に入って忙しくなるし、でもまぁたまの休みに会うくらいなら」
「それでいいです。先生が私のこと忘れないで覚えてくれてるってわかりさえすれば」
「そっか、じゃあよろしく」
譲はぽんぽんと椿の頭をなでた。
その日から、月に一、二度二人でデートする日々が始まった。椿は本当にいい子だった。いや、いい子になろうとしていた。譲のために。譲に嫌われないようにするために。譲の好みの服装をし、譲の好みの髪型にし、譲の好みの歌を憶え、譲の好みで弁当をこしらえ、譲の、譲の、譲の――。その傾向は、デートを重ねるたびに強くなっていった。
「ベートーベンのピアノソナタならバックハウスの悲愴だな」
「そう? 私は……あっうん、バックハウスが一番よね」
次第に椿は自分の意見さえ押し殺すようになっていた。そのことに譲は不安を覚えるようになった。このままでいいのだろうか? 椿を守りたいために一緒にいたことが、逆に椿を追い詰めてるんじゃないだろうか? このままでは椿は愛に依存して自分自身を無くしてしまう。大人になれないまま、常に愛を失うことに怯えてすごすような人間になってしまう。そして何より椿は俺のことを――。
「椿、別れよう」
それは椿が高校二年生の秋のことだった。
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