プロローグ

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見慣れた夜のゲレンデを前にして、譲(ゆずる)は「ふわぁ」と間抜けな音を立てて欠伸をした。涙で滲んだ彼の目に映る雪景色が月明かりを反射し、無数の光の輪となり輝いて見える。 「アイスはダイアモンドって意味もあるんですよ、先生か……」  譲はかつて恋人が言った言葉を思い出す。  雪は山の神様からの贈り物。冬の間、寒さに凍える人々にせめてもの目の保養に。雪の結晶、その小さな一粒一粒が自然の生み出した氷のダイアモンドなのだと。 「雪はスノーなんだけどな……」  ほんの少し足に力を込めると雪が音を立てて硬くなっていくのが靴底の上からも伝わってくる。結晶が潰れ中途半端な氷の集合体と化していく足元の雪に目を落とし、譲は自分の首筋に左手をあてがった。  アイスはさぁ、殺すって意味もあんだよ。なぁ、椿よ。  ここは冬になると雪と氷に閉ざされる。  譲は幼い頃からそんな思いを漠然と抱いていた。  〓〓県・〓〓郡・藍青(らんせい)。  もともと深い山々の合間にある農山村だったここは、昨今の流れである市町村合併により村ではなくなり、藍青(らんせい)という地名だけが残った。それに伴いスキー場を始めとする観光事業に力を入れたため過疎化が進む地方にしては幾分人の流れは活発な方である。  それでも譲はそう思わずにはいられなかった。  冬はこの地を青く氷らせると。  藍青(らんせい)がまだ村だった頃、氷角童子(ひすみのどうじ)という神の子を産んだ巫女の伝承と、それらを祭った神社への信仰がこの地に根付いていた。それらの風習は時と共に風化していったものの、その名残が譲をそんな思いに駆り立てているのかもしれない。 「氷角童子の喰いこぼし、か……」  昇る満月がいつになくまぶしい気がする。謙は忌々しそうに顔をしかめ白い息と共に言葉を吐き捨てる。 「また、繰り返すつもりかよ」
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