オレンジ・タイム

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「何回言ったって同じ」  この人に教えてもらったから。  ――好きな奴には、好きだって言って良い。 「でも、もう一回」  軽い溜息と共に、「行くぞ」と声を掛けられる。何度振っても、決して陽和一人を置いて行かない人。態度はすげないのに、いっそ憎らしいくらいに優しい心。  陽和は優しい背中を追いながら苦く微笑む。 (だから、諦められないんだよ)  そこは、駅近くの通りに在るCafe・Bar。最近、口コミで来てくれる客が多く、オープンから二年足らずで、味の評判も店の人気も大きくなり始めた店だった。 「ただいま、シズ兄。今日も振られた」  裏口である厨房側のドアを開けるなり報告した陽和に、シズ兄こと巌嶺玄(いわみねしずか)が、口の端を上げるだけの笑顔で出迎えた。 「おかえり。通算、七百回目だな」 「じゃあ、一千回目指そうかなぁ」 「何の記録目指してんだよ。お前」 (……そうだよな……)  陽和は、発言そのままに面倒臭そうな顔の男を、目の端に留めて密かに溜息を()く。  小さく、ひっそりと吐いたはずの溜息は、玄に聞こえていたらしい。慰めるように頭を撫でられた。  シズ兄と呼んではいるが、陽和と玄は従兄弟の関係だ。玄の母が、陽和の父の妹で、陽和の姓は〝巌嶺〟では無く、〝海棠(かいどう)〟という。  元々、玄は陽和のことを可愛がってくれていたが、幼い頃より少し事情の変わった今では、本当の弟のような扱いを受けている。 「緑都(ろくと)。根源のくせして陽和を追い詰めるんじゃ無い」  学生時代、魔王と呼ばれた玄の地を這うような声は健在だ。しかしギロリと睨みつけられた緑都も、長年の付き合いで耐性がついたのか、まったく応えてはいない。 「追い詰めてねぇっつーの。このバカ兄貴」  玄と店長の葉笠緑都(はがさ ろくと)は、中学時代からの悪友だ。  本来は玄の父がこの店の所有者だったが、大学を卒業したばかりだった玄が、経済学や独学で手に入れた経営学を生かす場として、店を大きくする為に移転を考えていた父から、店舗を買い上げた。  それまで一切手付かずに残しておいた、長年のバイト代と引き換えにして掴んだ第一歩は、緑都との遠い約束だった。
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