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「あなたこそ、禁煙始めたんですか?」
「え、どうしてそれを?」
「最近、見かけなかったので」
「見かけないって……今は煙草吸わないんじゃ?」
「吸ってないですけど……」
伏せていた瞼をわずかに持ち上げる。そこから一瞬私を見据えた瞳に、心臓がここ最近経験したことないほどに跳ねた。あまりの衝撃に胸が痛い。
「覗き見ることはできるので、いないなって思ってたんです」
その言葉がどういうことなのか。それ以上に意味はあるのか、と期待しそうになって心臓はどんどん鼓動を速めていく。
彼の部署の近くにある喫煙所だから、たまたま私がいないところを見ていただけ……。
そう言い聞かせながら口に運んだご飯は、全くというほど味がしない。
「火を貸してもらった時に、ちゃんと聞けば良かったんでしょうけど」
苦笑混じり彼は呟く。その目元はあのくたびれた時の彼のものだった。
そして、うちの部署は社員証を身に着けることを義務化されておらず、私も常にポケットに入れているだけになっていたことも思い出す。
「名前を、教えてもらえませんか?」
これは、私だけが名前を知っているのに彼は知らなかったから、だから今、名前を聞いてきただけ。
考えれば考えるほど、ただの世間話の一端のような気がしてくる。しかし、喫煙所では寡黙だった彼がわざわざファミレスとはいえ私をご飯に誘った。
分からない。これが何か甘い未来への切欠なのか、そうではないのか。
「私の名前は……――」
名前を伝えると、彼は噛みしめるように私の名前を復唱する。
彼に貸した火は、いつの間にか私の中に戻ってきて、熱く顔を火照らせていた。
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