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煙草は健康に悪い、匂いがつく。と、言う嫌煙家の言い分も分かる。しかし、仕事中に息抜きとして煙草を吸ってきます、と言うと何となく「あぁ、そう」くらいのテンションで返され、罪悪感もなくこの1本が灰になるまでは自由を許される気がした。それに味を占め、飲み会の時に口寂しく吸う程度だった煙草は完全に1日のルーティーンに組み込まれてしまった。
出社してまず1本。昼食後に1本。3時のおやつ代わりに1本。残業の現実を受け止めるために1本。それで1日分。あとはやはり飲み会の時に吸う程度か。
自分の部署からは少し離れたこの喫煙所は最高の休憩スポットだった。知り合いに見られることもなく、少しずつ時間を灰に変えられる。その自由を求めて初めて扉を開けた時、”彼”はいた。
決して眺めの良いとは言えない小窓から外を見つめる瞳には煙が映り込み、余計に彼を気だるげに見せた。スーツもシャツもきちっと皺が伸びて、彼の体に馴染んでいる。ボタンの4つ並んだ袖口から伸びる手は男性らしく骨張っていて、煙草を挟む人差し指と中指の曲がり方が、妙に色っぽい。
思わずじっと見てしまったことを取り繕うように、申し訳程度に置かれたカウンターチェアに軽く腰かけ自分も煙草を取り出した。火をつけながら彼の様子を窺うも、こちらを特に気にしているようには見えない。相変わらず外を眺めている。
そして、やっぱりそうだとも確信した。香ってくる匂いが、とても嗅ぎ馴染みのある煙草の匂いであるこことに。
脳裏を過ったのは、テーブルの上に残された1箱の煙草ケースとオイルライターの光景だった。あの時と同じ匂いがする。渋みがあるのに、どこか甘さを錯覚させるような匂い。
嗅覚の記憶は強烈だと聞いたが、あながちそれは間違っていないらしかった。
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