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風はさらさらと清潔に流れ、桜の花びらの触れ合う音が聞こえる時期だった。
「パパ、口にごはんがついているよ」
小学3年生になった俊太に指摘された。私は自分の口に手をやり、そのごはん粒を口に入れる。そんな私の様子を見ていた私の母が
「あら、パパだめじゃない」
苦笑いをしながら言う。
食事をしながら、私は洗い流したはずの思い出の中でぼんやりと考え事をしていた。
私の妻の明美が病気で亡くなったのは、俊太が2歳の時だった。精神が波にさらわれた砂のように少しずつ失われていく感覚だった。しかし、最愛の妻を失った悲しみに打ちのめされていられたのは、妻の葬式が終わるまでであった。悲しみの波に襲われながらも私には俊太とどう生活していくかという現実的な問題が突き付けられていたため、妻との思い出に浸っている余裕はなかった。
保育園に預けて仕事をするという選択肢もあったが、それだと迎えに行く時間を気にせざるをえず、仕事に打ち込めない。やはり、実家に頼らざるをえなかった。ただ、当時、父と母は必ずしもうまくいっていなかったので、この話を受けてくれるか不安もあった。ところが、母は快諾してくれた。恐らく母もいびつになった夫との関係から逃れる術を探していたのだろう。以来、6年間実家の世話になっている。俊太という孫が介在となったためか、父と母の関係もいつしか修復していた。
そういう意味で、私が選択した方法は間違っていなかったと思っている。でも、こうしてこれまで流れるように生きてきた私は、最近ずっとこのままでいいのだろうかと考えるようになっていた。
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