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「……あの、しつこいようですが、これを妻に渡して頂けないでしょうか? きっと困っていると思うので……」
大原にさっきの封筒を差し出した。
「お願いします」
翔の父は小さく頭を下げて言った。
「分かりました。自分ではナンなので母さんに預けます。母さん、折を見て恵子さんに渡してあげてよ」
大原は封筒を受け取ると、翔の父は申し訳なさそうに、
「すみません。これも……お願いできませんか……?」
家の鍵だった。
「分かりました」
大原はそれも受け取るとお母さんに渡した。
「では、お預かりして、必ず恵子さんにお渡しします」
お母さんは真剣な面持ちで鍵を受け取った。
「今日は有難うございました。」
「毎日でも来てくださいね。こっちは大歓迎なんで」
大原はそう言って会釈した。翔の父も会釈すると静かに去って行った。
「翔君のお父さんカッコいいね。明るいところで見ると、なお素敵だわ」
お母さんは、寒い玄関口に座ったままうっとりとして言った。
「母さん、兄ちゃん、陽菜ちゃん、飯食おう……」
翔が呼びに来た。立ち上がりかけたお母さんを大原は上手に支えて陽奈に預けると、
「あいつ、メシメシってほかに言うことはないのか……。こら、翔、なんで出てこないんだよ」
「兄ちゃんこそなんだよ! 何が大歓迎だよ。二度と来るなって言ってくれる思ったのにさ!」
「あ~! こいつ、勉強してるかと思ったら、話聞いてたな」
また二人がほたえだしたのでおかあさんが言った。
「もう、二人ともご飯食べないんだったら、私がみんな食べてしまいますからね。なくなっても知りませんよ」
「は~い」
二人は同時に返事して、仲良くテーブルに着いた。それぞれの仕事の都合で全員が食卓に揃うことは難しいが、お母さんが一人で食事をとることはない。
今日の夕食に、理沙と久美子はいないが、陽菜、翔、翔の母、大原、ライのいる楽しい食事風景を見ていると、今頃一人でご飯を食べている翔の父親を思って胸が詰まった。雨谷のために翔の家もスミレ荘もムチャクチャになってしまった。人に感謝する気持ちのない人の恐ろしさを知り、悲しくなった。
チラッと翔の母親を見ると、楽しそうに話をしている。でも、さっき翔の父を見送ったとき、心配そうに見つめているのを知っているお母さんはいたたまれない気持ちになった。
(なんとかしなければ、このままでは翔ちゃんの家が本当に壊れてしまう。)
お母さんは、翔の母のために心から力になろうと決めた。
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