第2章

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「千佳さんのタンスの中に、こんなお手紙がありました」 「まあ、なにかしら……」 お母さんは、老眼鏡をかけると、丁寧に手紙を開いて読み始めた。じっと手紙を見つめていたお母さんの小さな瞳から、みるみる涙が溢れてきた。 「お母さん……」  陽奈が声を掛けると、お母さんは手のひらで涙をぬぐいながら、声を詰まらせて言った。 「ごめんね。泣いてしまって、千佳ちゃんの心が嬉しくて……」 今、千佳ちゃんは、あの美しい山並みの向うにいるのだと教えてくれた。旧家の一人息子さんの所にお嫁に行ったという……。ご主人になる人は、とても感じのいい人でお似合いの二人だったと、嬉しそうに聞かせてくれた。 (私も、素敵な人と出会えるかしら……) 陽奈は、会ったこともない千佳ちゃんの事が、とてもうらやましく思えた。 「陽奈ちゃん。これはあなたが持っていて」 「はい。私、大切にします」 陽菜は手紙を両手で丁寧に受け取った。 心配していた就職は、 お母さんの紹介で、年明けから駅前の鍼灸院で働くことになった。朝の九時から夜七時までの勤務で、十二時から三時まで昼休みになっている。 休日は日曜日と祝日。 以前のように部屋に居るからと、社長の家の片付けや夕食の準備にかり出されることもない。ゆっくりと過ごせる。 五十過ぎの院長先生と、若い男の先生が3人。 そして四十過ぎの相田さんという受付の女の人。陽奈の仕事はこの人の助手だ。なかなか打ち解けてもらえなかったけれど、今は、親しく接してくれるようになった。 受付なんて初めてのことで不安だったが、患者さんはお母さんと顔なじみの人ばかりで、みんな優しくしてくれた。 慣れない職場で緊張していたけれど、季節が変わる頃には、仕事に慣れて手際よくこなせるようになっていた。 お母さんと朝食をすませた後、階段や廊下それにキッチンや庭を掃除して仕事に行く。帰りは、近くのスーパーで買い物してスミレ荘に戻る。 昼休みが3時間もあるので、スミレ荘に帰ってお母さんと食事するのが、とても楽しい。スーパーのお買い得品の話や、仕事の話、お母さんも鍼灸院の人達をみんな知っているので、面白そうに聞いてくれる。 「陽菜ちゃんのお話を聞くのが、私の一番の楽しみよ」 夕方7時過ぎに帰ってくると、お母さんはいつもおいしい夕ご飯を用意して待っていてくれた。 他のみんなは定時に終わる職場ではないため、帰りが遅かったり早かったりする。休みもシフト制でまちまちだが、お母さんはいつも理沙と久美子に聞いては、カレンダーに印を付けている。 「大切な娘さんを、預かっているから」と言って、みんながどんなに夜遅くなっても、起きて待っていた。 休日はみんな自分の部屋でテレビを見たりキッチンでお茶を飲んだり、思い思いにゆっくりしている。 (家族ってこんな感じかな?) 陽菜は初めて味わう穏やかな日に、幸せをかみしめた。
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