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「ちなみに記憶喪失って病気はない、みたい」
じっと身じろぎしないままのオレに、女は口もとに笑みをうかべ喋りかけてくる。
「あえていうなら『遁走』ってのが近いらしいけど」
ふと女の上半身が視界に入ったとき、胸を露出していることに気づいた。そればかりか、見ると全身素っ裸だ。
「でも物語の登場人物になら、よくあること」
それで首を少し上げ、自身の躰に眼をやった。そしたらオレも、全裸だった。ただしオレも女も、下半身の大事な部分は覆い隠していたが。
「それにしても不思議ね。記憶っていう内容がなくなっても、『自分』とかいう私って意識の枠組みと、『ここ』とかいう世界って認識の枠組みはなくならない」
ああたしかに、と反応のにぶい頭で頷いていた。
「気にすることないわよ。だってアルコール中毒の症状なんかで誰でも、よくあることなんだし」
酒や汚物の腐臭漂う路地裏の路上、煤煙と霧がたちこめる都市のたたずむ娼婦たちと街灯、けたたましく鳴り響く悲鳴に警笛に群衆の喧騒……ちらちらとフラッシュバックする4Dの映像──。
「ここは?」
オレはぐるりと眼球だけを動かし、周囲を見回した。
「さあ、もしかしたらここは、とある病室のベッドの上なのかもしれないし、監獄か核シェルターみたいな特殊な場所なのかもしれない。いずれにしても──」
女がもう一度覗きこみ、オレの両眼をとらえた。
「ここはパラダイスよ、そのいわば極東に位置する」
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