1 脚

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1 脚

  鏡の中に女子高生がいる。もちろん、それはわたしだが、わたしは女子高生ではない。残念ながら、もっと老けている。見る人が見れば、わかる。が、街行く人の中には、わからない人も多い。  季節を問わず、生脚をガン見する中年や高齢の男性たち。時には怖くも感じる彼らの視線こそ、ある意味、わたしを生かしているのかもしれない。  生脚に関しては別の反応もある。中年女性の非難的な眼差しだ。中には目を見開き、ついで、わたしの露出を嘆くように目を背ける。それ以外に敵愾心を露わにされる場合もある。が、まあ、他人様々だ。  その他大勢は、わたしに関心を示さない。それがわかっているから、わたしは女子高生にもなれるのだ。  世界の人間の大半が、わたしに興味を抱いていない。それは、わたしに限った話ではない。一般的な事実だ。世の中の大半の人間は他人に関心を示さない。世間の流れか、最近では有名人にすら関心を示さない人が多い、と感じる。当然、そうではなく、きゃー、きゃーっ、と嬌声を上げる女たちや、若い娘に入れ込む中年男性は後を絶たないが……。  それでも数が減った気がする。もしかしたら、タレントの質が落ちたのかもしれない。  それはともかく、時折、齎(もたら)される若い男性からの視線が、わたしを戸惑わせる。若い彼らが興味を抱いてくれること自体は嬉しいが、わたしは彼らに興味がない。わたしがセーラー服を着るのは彼らのためではないからだ。わたしがセーラー服を着るのは自分自身のためだ。わたしは可愛く見せたいのだ、自分自身に自分自身を……。自分が可愛い、と信じたいのだ。  生まれたときから可愛い人間は、そんなことは思わないだろう。が、そうではない人間は違う。  大抵の場合、日々の生活の内に諦める。けれども、中には一歩を踏み出す人もいる。  ……というほど大袈裟な話ではないが、自分が可愛いと思えなかった人間にとっては高いハードルかもしれない。  けれども今のわたしには、もう当時の心境がわからない。 「行ってきます」  他に誰がいるわけでもない無人の部屋に声をかける。  アパートで独り暮らしを始めると言ったとき、返ってきた母の言葉は『もったいない』だ。 『何も余計なお金を払って外で暮らさなくてもいいじゃない』  特にわたしを溺愛しているとも思えない母だったから、純粋にお金の心配をしたのだろう。けれども自宅にいては、わたしはわたし以外になれないのだ。  最初の転機が、おそらくそれだ。が、一人暮らしを始めたとき、わたしは自分がコスプレまで始めるようになるとは思っていない。そんな考えは微塵もなかったはずだ。それが、どうしてこうなったのか。  最初に仮装を試したのはメイドだ。いや、その前に、わたしは生脚を曝している。  母の血を多く継いだわたしは暑がりなので、夏はいつも汗にまみれる。それを解消するため、デニムのショートパンツを履いたのだ。元々スリムなジーンズを愛用してきたので、ショートパンツを履くこと自体に抵抗はない。問題は視線だ。  そこで『誰も自分には関心を示さない』という確信が、わたしの決断を後押しする。ネット通販でショートパンツを買い、さっそく、それを家の中で履いたが、その格好のまま外に出るまで数日かかる。  そして、ショートパンツを履いた一日目から、わたしは生脚ガン見経験をする。  単に脚の形が良かっただけだろうが、それは奇妙な感覚だ。わたしそのものに興味を抱く他人は、おそらくいない、というのに……。  けれども、デニムのショートパンツを履いたわたしは一部の男たちの興味を惹いたのだ。そのときの自分の感情を分析すれば、最終的には『男は馬鹿だ』という想いに行き着く。が、幸か不幸か、それがすべてではないようなのだ。  中年や高齢の男性たちが、わたしの生脚をガン見する視線は確かに不躾(ぶしつ)で悍(おぞ)ましいが、それでも快感はあったのだ。誰にも興味を抱かれないはずのわたしが、誰かに興味を抱かれたことに由来する。  もちろん、それを願い、わたしはデニムのショートパンツを履いたのではない。が、一度(ひとたび)、他人の興味を惹けば、それは癖になる。何故かと言えば、小さな自信を生み出すからだ。自分の存在そのものに関する。  家庭環境などもあり、それが育まれるように成長した人間にはわからない獲得感覚かもしれない。しかも、それはエスカレートする。  ショートパンツの次は黒髪だ。ロングのウィッグ。暑さ対策とは矛盾するが、最初に買ったのは冬だから問題は生じない。  その次がペラペラのメイド服になるが、さすがに、そのコスプレ姿で、わたしは電車に乗ったことはない。コスプレパーティーに参加する人たちを、わたしは素直に勇気がある、と思う。わたしの場合は、大きな公園に出かけ、その場(トイレや人のいない休憩所)で着替え、暫く歩く程度だ。  本意ではないが、何人かの他人たちには目撃される。彼と彼女らの反応は様々だったが、とりあえず、『何だ、コイツは……』というものだった……に違いない。
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