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佐竹
古毛布一枚の寝床で壁にもたれて座る佐竹は血と脂でくすんだサバイバルナイフを見つめていた。
羽衣子を害する者が現れなかった日は佐竹の心は穏やかだ。
ひび割れた窓ガラスの隙間から入り込んでくる風がひゅるりと悲しげな音を立てていた。
初めて会った日の彼女を危険な目に合わせたバスの運転手。見守るうちに発見したストーカー。馬鹿にしていじめていたケーキ屋の従業員とその店長。
羽衣子を悲しませた奴らは彼女の名を刻み贈り物とした。いったん終えたが、まだまだこれからも彼女を苦しませる者は現れるだろう。
密かにそれらを排除し、ずっと羽衣子に贈り物を捧げ続けるつもりの佐竹だったが、次第に欲が出てきた。
自分の存在を知って欲しい。佐竹を佐竹としてその瞳に映して欲しい――という欲が。
最初はそんなことなど思ってもみなかった。どうせ自分など忌み嫌われる存在でしかない。彼女から冷たい視線を投げられ罵声を浴びせられたら、きっと爆発し、大切な女であろうと滅茶苦茶に潰してしまうだろう。
あの時と同じ失敗を繰り返してはならない。
そう考えていたが、羽衣子なら自分を受け入れてくれるのではないかと甘過ぎる期待を持つようになってしまった。そう思える女なのだ。思い出の中に深く眠るあの慈愛深い女神のような女と一緒だと。だから欲が出てくる。
羽衣子と家庭を築けば、もう自分は爆発することなく静かで幸せな人生を歩めるのではないか。
いや。
佐竹は両手を見た。ナイフの刃同様血の染みがこびりつき脂の臭いを放っている。きれいに洗っていてもそれは決して消えない。この手で羽衣子の髪や頬を触ることなど一生無理なのだ。
いつか彼女に好きな男が出来たらどうなるのだろうか。自分はその男を許せるのだろうか。今までにない巨大な爆発を起こしてしまうかもしれない。
もし、そうなれば羽衣子は許してくれないだろう。
考えてもせんないことを延々と思い続け、受け入れてもらえない事に悲観し、まだいもしない男への嫉妬に狂う。
いっそ彼女も殺してしまおうか。
そうすれば永遠に自分のものだ。肉が腐り、骨になってもずっと自分の妻として抱き続けられる。
佐竹はバッグから道具を出すとナイフを丁寧に研ぎ始めた。
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