羽衣子

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羽衣子

 ドアチャイムの音に羽衣子は開いたままの求人情報誌の上に蛍光ペンを置いた。ドアスコープを覗くとスーツを着た若い男が立っている。  セールスマンなら居留守を使おうか考えていたが、再度チャイムと「柴田羽衣子さーん」と名を呼ぶ声がしたので、仕方なくドアを開けた。  若い男の後ろには胡麻塩頭の男が立ち、羽衣子の顔を鋭い眼つきで睨んでいた。  若い男が「〇〇署の柳と言います」と警察手帳の写真とバッジを見せ「吉川美恵さん、三木進さんの件でお伺いしたんですが」とにっこり笑った。 「美恵さんと店長? えっと――何かあったんですか?」  羽衣子は柳と名乗る刑事ともう一人の顔を交互に見つめた。 「美恵さんと三木さんが事件に巻き込まれ殺害されたんですが、ご存じないでしょうか?」  毎日テレビをつけっ放しにしているが、意識して観ていない。ここ最近起きている事件など羽衣子は知る由もなかった。 「えっ? えっ? うそっ」  胡麻塩刑事も手帳を提示する。写真の下に平山という名前が読めた。 「ここじゃなんなんで、お部屋に入れてもらって構いませんか?」 「こんなコップですみません」 「お構いなく」  部屋を訪れる者がなく湯呑など置いていない羽衣子は仕方なく景品でもらったマグカップに茶を入れた。  じっと見ている柳の口元が微妙に緩んだように感じ、羽衣子は来客用の湯呑を購入しようと心に決めた。 「それでですね、二人がなぜ事件に巻き込まれたのか捜査しているんですが、柴田さん、何かお心当たりないでしょうか?」 「わ、わたしですか? し、知りません、知りません」  眩暈を起こすくらい強く羽衣子は横に首を振った。  平山がつけっ放しのテレビに目をやった後、「この事件をニュースで見ませんでしたか? さっき大変驚かれてましたけど。  雇い主や同僚の名がニュースになっていたら普通気付きますよね」と眉間に皺を寄せる。  羽衣子はリモコンでテレビのスイッチを消して項垂れた。 「えっとぉ、テレビは一応つけてるだけなんで。静かだと寂しいというか――辞めてから求人雑誌ばかり見てたから美恵さんたちの事は本当に全然知らなかった――すみません」  あの二人からは叱られてばかりいたが、もうこの世にいないのかと思うと悲しみが込み上げてくる。 「いえ、少し疑問に思ったから聞いただけです。これを見ればあなたが本当のことを言ってるのわかりますよ」  テーブルの上や下に置いてある黄色いラインまみれの十数冊の情報誌を平山は手に取った。 「何かいい仕事見つかりましたか?」  柳が微笑みながら訊く。 「それがなかなか見つからなくて――」とつられて羽衣子も微笑んだ。 「些細なことでいいんです。何か不審に思うようなことがあったら教えてください。店にクレーム客が来たとか、嫌がらせ的なことがあったとか」  羽衣子は首をかしげ考えたが、あの二人が誰かに恨まれるような心当たりは一つもない。 「あ――」  顔を上げた羽衣子に、「なんですかっ」と柳が喰いついた。 「もしかしてわたしが疑われてるんですかっ。辞めさせられたことを恨んでとか」 「恨んでるんですか?」  静かに微笑む平山に何度も横に首を振る。 「恨んでません。だって失敗ばかりの自分が悪いんですから」 「失敗ばかりするんですか?」  眉をひそめた柳の顔が羽衣子には笑いを堪えているように見える。  平山にもそう見えたのか、横目で柳を睨んでから羽衣子に視線を戻した。 「じゃ、あなたを疑いませんよ。  他に気になるような人物はいませんか? あなた自身にかかわるような人物でも構いません」 「わたしにですか?」  羽衣子は記憶をたどってみたがまったく思い当たらない。 「ない――と思います。   失敗した時は先に美恵さんや店長に叱られたんで、笑ったり同情してくれるお客様はいたけど、ひどく怒ったり恨んだりする人はなかったです――でもそれって美恵さんたちのおかげだったんですね」  羽衣子はまた少し涙ぐんだ。 「――そうですか」  平山が内ポケットから取り出した二枚の写真を羽衣子に見せる。 「この人たちのことをご存知ではないですか?」  胸あたりまで写った男性二人の写真は何かの証明写真をコピーしたものだった。一人はまったく心当たりなかったが、一人には見覚えがある。 「この人知ってます――バスの運転手さん――かな?」  平山と柳が顔を見合わせたので羽衣子は不安になった。 「もう一人のほうはどうですか? よく見てください」  ぐいっと平山に写真を突き付けられ、再度よく見てみたもののやはりまったく覚えがなく、首を振った。 「あの――その人たちがわたしと――何か――」 「いえ、柴田さんには関係ありません。  ご協力ありがとうございました。また聞きたいことがあるかもしれませんのでその際はよろしくお願いします」  初めとは違い柔らかい口調の平山だったが、目の光は相変わらず鋭い。知らないところで自分が大事件に巻き込まれていると羽衣子は感じた。  快く承諾したいが恐怖が先に立ち、戸惑えば疑いを招くと思ってもうまく返事ができない。 「あなたを疑ってるわけではないので、そんなに怖がらなくていいんですよ。平さんは誰にでもこうなんですから」  柳がくすくす笑った。  この人は最初からずっと優しい眼差しをしている。  安心した羽衣子は笑顔でうなずいた。 
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