36 視線

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 佐野さん、彼女は本当に郁のことが好きなんだろう。告白をしに来たのは最近のことだけれど、でも、彼女の視線はずっと、ずっと郁だけに真っ直ぐ向けられていた。  夏の学校帰りも、秋の体育祭や文化祭の時でも、ずっと、郁だけを見てた。  だから、彼女も気がついていたんだ。僕が彼女の視線の向かう先に気がついていたように、郁の視線は一度も自分へと向けられないことに。  なら、郁の視線が向かう先には気がついていた?  それとも、誰よりも絶対にありえないからと、除外していた?  ねぇ、なんで僕に訊くの?  ねぇ、なんて答えたらどいてくれるの?  僕はとても酷い大人だ。それを自覚していても尚、なおさない、欲深い大人。 「いやぁ、疲れましたねぇ」 「! あ、え、えぇ……」  町内で行われたクリスマス会はとても盛り上がった。小学生だけなのだけれど、それでも二十人以上が集まって、歳が離れてても楽しそうにゲームをして、ご飯を食べていた。小学六年生が一年生の世話をしてあげると、小さい子はとても嬉しそうにはにかんで「おねえちゃん」って懐いてたっけ。  まるで、昔の郁みたい。 「成田さん、子どもの扱い上手ですよね」 「そうっすか? 姪っ子甥っ子がすげぇ多いからかなぁ」  あははって大きな口を開けて笑ってる。 「あ、そうだ! 晩飯一緒にどうっすか? 俺らの分ほぼガキどもがたいらげちゃったから、腹、減ってません?」 「あ、えっと……」 「あークリスマスですもんね。先約ありますよね」  郁は夕飯食べてくるって言ってた。ケーキならもう買ってあるし、家に一人でいても、なんだか思考が暗くなってしまいそうだ。 「いえ、先約とかないですよ。ぜひ」 「うわ! マジっすか! やった!」  だって、郁がいる場所に、彼女は合流するんだろうから、考えると、身体が冷えきってしまいそうになる。あんなにお洒落をしてたんだ。デートみたいに可愛い格好をしていた。クラスメートたちとのクリスマス会とは思えない、可愛い服を着て、ほんのりお化粧までしてた。郁に振り向いてもらうために。  そして、一人、うちで待っていると、郁が本当に振り向いて、彼女のほうへと歩いて行ってしまうかもしれないって、慌てて、駅まで走ってしまいそうで。だから、誰かと一緒にいたかった。  郁をさらいに行きたいと思ってしまう自分を止めるために。  クリスマス当日、平日とはいえ、お店はそれなりに混んでいて、でも、まぁ田舎だからお洒落なバーなんてあるわけもなく。チェーン店の居酒屋か小料理屋、もしくはスナックくらい。どこもクリスマスらしさはない店ばかり。 「そんでぇ、塗料も原価高くって、やっぱしんどいっすわ」 「ですよね。うちも材料費バカにならないから」 「あー、相馬さんとこもっすか?」  骨がなくなってしまったみたいにフラフラ、ユラユラ、左右に揺れながら、力なく手を振っている成田さんと、クリスマスには全く関係のない仕事のことをしていた。  相当酔ってるみたいだ。  大丈夫かな。 「でも! 俺、相馬さんの色彩ってすっげぇ好きっす! 優しくてぇ、綺麗でぇ」 「ありがとうございます」  言いながら、手が左右、表裏ってひらりひらりと扇子みたいに踊っていた。 「成田さん、けっこう酔っ払ってます? 大丈夫? あの、そろそろ帰りましょうか。明日は仕事ですもんね」  時計を見れば、もうすでに二時間は飲んでいる。僕もだけれど、成田さんも日中仕事して、それから子どもたちとクリスマス会をして、けっこうハードな一日だったから、疲れでお酒も回りやすいんだろう。 「コート、どうぞ」  立ち上がると、足元がふわりと少しだけフラついた。でも、大丈夫そう。自分もコートを手に持って席を立つと、ホールの若いスタッフさんが大きな声で勘定を呼んでくれた。 「ご馳走さまでした」  お辞儀をして、外に出れば、師走の寒さが一段と厳しくなっていた。肩をすくめ、マフラーの中にアルコール混じりの吐息をこぼすと、そのマフラーの周りの空気が白くなった。 「……」  もう八時か。郁はまだご飯中かなぁ。 「……この後、何かあるんすか?」  見ていた腕時計を覆い隠すように手首を掴まれた。 「……え?」 「今日、何度も時計見てたから」 「あ、ごめんなさいっ」  失礼だった。飲んでる相手に。何度もチラチラ時計を見てたら、まるで早く帰りたいみたいじゃないかと慌てて謝罪をした。けれど、謝らないでと成田さんが僕の手首を掴んだ手に力を込める。 「俺、相馬さんの染めた色、綺麗だと思います」 「……」  手首をぎゅっと握られて、痛いのだけれど、それを言うのははばかられるほど、成田さんが真剣な顔をしていた。 「なり」 「貴方のことも、綺麗だと思います」 「……」  普段からよく笑う人だから、こんなふうに少しも笑わずにいると、どうしたらいいのかわからなくなる。 「貴方の色彩、好きだってさっき言いましたけど。けど、俺は、貴方のことも」  どうしたらいいのか。 「貴方のことも、好きです」  わからなくなる。 「ずっと、好きでした」  郁は、佐野さんの気持ちに気がついていたんだろうか。真っ直ぐに向けられる視線に気がついていたのかな。 「俺じゃ、ダメですか?」  僕は気がついていなかった。郁のことしか本当に見ていなくてさ。だから、郁のことを好きな佐野さんには気がついていたけれど、ほかには何も。 「俺じゃ……」  成田さんは気がついていた。僕を見つめていたから、僕の視線がどこに向かっているのか、気がついてしまっていた。 「俺なら、貴方にそんな辛い顔、させない」  僕が誰を好きなのか、成田さんは、知っている。 「文彦……」  郁を好きだって。
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