35 そんなのわかってる

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 郁には考えるなと言われそうなことばかりが頭の中をくるくる踊ってる。こっちの方が楽だよ。こっちのほうが普通だよって、くるくる回ってる。 「ほぼ満点だったの?」  いきなりそう話しかけたら、目を丸くしてた。 「……え?」  どんなにそっちが楽でも、普通でも。それでも僕は郁が好き。 「今日、駅前のとこで秀君がそう言ってた」 「は? いたの?」 「うん。買い物してたんだ」 「なら……」  声かけろよって言いたそうだった。でも僕はそれに返事をするよりもキスをしたかったから、キスをした。キスをしたら、郁が、また目を丸くして、言葉を止めるだろうから。 「満点なんてすごい」  ね……止まった。  知ってるよ。この恋を諦めて、好きっていう気持ちを掻き消して、そして、それぞれに合った恋愛をしたほうが楽チンだなんてこと、わかってるよ。 「ね、郁、クリスマスの日さ、何ケーキが食べたい? 予約とかしてないでしょ? それでさ反対口の駅にあるポランっていうケーキ屋さん知ってる? あそこ、美味しいんだよ? 頼んでみようかなぁって。小さいケーキでいいよね?」 「……」 「郁の好きなケーキにしようよ」  わかってるけど。 「なんでもいいよ」 「えー……なんでもじゃ」 「文と……」  わかっているけれど。 「今の文と食えるならなんでもいいよ」  もう何度も郁にクリスマスにプレゼントをあげた。ケーキを食べた。でも、親戚でもなく、保護者でもなく、恋人になった僕と郁が過ごすのは初めて。 「……っ……ン」 「マジで、なんでもいいから」  僕は、欲しいものがあるんだ。一つじゃないよ。たくさん、たくさん独り占めしたい。郁のくれる好きも、キスも、全部、僕は独り占めしたい。  今年のクリスマスは平日だったから、そのままどの学校も終業式を兼ねていて、うちの前を通学路にしている小学生たちは皆スキップして学校へと。そして帰りは、もうもらったのか、それとも今夜の楽しみなのか、クリスマスプレゼントのことで口元をほころばせながら、たくさんの荷物を抱えて帰っていった。 「なぁ、文、ぁ……お疲れっす」  珍しく仕事場のほうに郁が顔を出したら、もう帰るところだったパートさんが目を輝かせた。私服に着替えてるから、なんか、大人っぽいよね。パートさんたちはうちで仕事してもう長くて、この二人のおかげで僕は社長としてやってこれた部分もたくさんある。もちろん、十一歳だった頃の郁のこともよく知っている。だから余計に黄色い悲鳴が甲高くもなる。 「わりぃ、まだ皆いたんだ」 「いいよ。行っておいで」 「あんま遅くなんねぇから」 「いいよ」  遅くても、そうパートさんには思われるように。けれど、本当はその「いいよ」じゃない。いつまででも待っているからって、心の中で付け加えた。  ファーのついた黒のダウンに黒のパンツに、黒のブーツ。まっくろけ。 「いってらっしゃい」  カッコいいよね。 「郁君も来年は専門学校生なのねぇ。なんだか急に大人っぽいわぁ。この前まで中学生だったのにねぇ」 「……えぇ」  郁はこれから秀君たちと駅前でボーリング。 「社長はこれから子ども会でしたっけ?」 「うん。そう」  僕は、その子ども会の助っ人役。夕方からだから、オードブルとか持ち寄ってのイブニングパーティー風になった。週末にっていう話もあったんだけど、他の利用がすでにあって埋まってしまっていた。 「お疲れ様。気をつけて」  パートさん二人がいなくなった途端に、仕事場が閑散とした感じになるから、やけに一人小言が多くなる。さてと、って呟いて、機械のシャットダウンを確認、普段よりも少し早めに仕事を終わらせた。  えっと、会館に寄る前に、僕は海苔巻きセットをおすし屋さんから受け取りに行くんだ。成田さんが一番重い飲み物係りだから。早めに行って、手伝えるだけ手伝っておこう。  飲み物、重いもんね。 「あの……」  だから、急いで海苔巻きを取りに行かないとって思ったところだった。 「あの」 「君は…………佐野、さん」  急ぎたいのにな。  クリスマス当日、この子がうちに来る用事なんてひとつしかないよね。郁でしょ? 真っ赤な可愛いコートを着て、ブーツもすごく可愛くて、マフラーからはみ出てた髪がなんだか可憐な感じ。  まるでこれからデートでもするみたいにお洒落をしている。 「佐野さん、こんばんは」 「……」 「あー、ごめんね。郁なら、今さっき秀君たちと」  ボーリングに行くって言ってたよ? そう教えてあげると、首を横に振った。 「あのっ! ごめんなさい! ご自宅に何度もっ、あの……ぁ、の……」 「……」  ぎゅっと胸のところで手を握り締めている。白い毛糸の手袋が可愛いよね。女の子って感じ。 「あの…………あの……」  首を横に振ったのってどういう意味? 郁に用事があるんじゃないの? 「あの……」 「えっと、ごめんね。僕、これから町内会のほうに出ないといけないんだけど」 「あ、あのっ! すみませんっ! 郁クンの付き合ってる人って」 「……」 「お、おうちに、来たことあるのかなぁって」  なんて質問。 「じ、実はこの前、告白、したんです。そしたら、好きな子がいるって……言われました。付き合ってる子がいる……って」 「……」 「でも、誰も、その、秀ちゃんも知らなくて、他の誰も知らないから、その、ホント、なのかな……って」  諦められないんです。すごくすごく好きだから、たくさんたくさん見てたから、なんとなくわかるんです。付き合ってる子って、同じ学校じゃない。なら他校なのかな。でも、それも気配が全くなくて。  嘘なのかなって。  彼女の心細そうな声が矢継ぎ早にそう話した。切なげな顔で言うんだ。 「郁クン、なんか、苦しそうで。辛そうで。郁クンにそんな顔させるような人って、どんななんだろうって。でも絶対に教えてくれないんです」  言うんだ。その「人」に向かって。 「郁クンが心配でっ」  辛い恋なんてさせないでくれと、その恋を一緒にしている僕に言うんだ。
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