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「良かったら、どうぞ」
トシ兄の声とコーヒーカップの横に置かれた桜餅が、俺を現実に引き戻した。目を瞬かせ、顔を上げれば、笑顔のトシ兄。そういえば…と、トシ兄がマスターをしている喫茶店『風見鶏』に入ったことを思い出す。
「さっきもらったんだ、耀華堂の春のスイーツ。今年は甘さ控えめにしたから男性受けするかなって、九耀の伝言。ね? ボクと一緒に、サンプリング対象になってくれない?」
「悪いけど……」
俺は苦笑し、桜餅の乗った皿を押し返した。
「苦手なんだ」
「あれ? 和菓子、嫌いだっけ?」
「……桜餅…というか、桜味全般受け付けない」
言って、煙草を取り出す。火をつけ、紫煙を燻らす。
「珍しいね」
……それは、桜味を受け付けない体質のことか、煙草を吸っている姿のことか……。
図りかねたが、この店はそれらの上を行く奇行をしている。
「そう? コーヒーのお供に桜餅を出す喫茶店と比べたら、珍しいとは思えないけど?」
目を細めれば、トシ兄は苦笑い。
「わかったわかった。すぐ下げるから、桜餅一つでそんなに怒らないでよ」
桜餅が俺の視界から消える。トシ兄も俺の座るテーブル席から離れて行く。
……怒る、か。そんなつもりなかったんだけど、言葉が悪かったかな…………。
思いつつ、煙草を吸う。自分が吐き出す煙と体内に吸収されるニコチンに、視界と思考が白く染まる。目を閉じる。
イラついている、と自分でも思う。でも、仕方がない。思い出したくもない過去なのに、日本国内にいる限り、春になるとどうしても思い出してしまうから。
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