1)余命宣告

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人生の中心は自分である。   ひとりに一人にとっての 必要悪 は存在する。      人の数だけ 必要悪 は存在し、   それは 小さな犠牲 と 大きな成果から成る。   この舞台において   もっとも大きな成果を手にするのは誰か・・・       貴方は見つける事ができるでしょうか?   【ある医者】   「先生お疲れ様です。いつも辛いですね。」   「仕事だからね。良くも悪くも慣れたよ」 今日も患者に癌である事を告げた。 患者は泣き崩れた。   「ママをいじめるな」 息子だろうか・・・ 3才ほどの男の子が私を睨みつけた。 医者として人の生き死にかかわり26年、 良くも悪くも人生の終わりを告げる宣言にも慣れてきた。 いくら慰めの言葉を探しても、 私には患者の絶望、不安を消し去る力は無い。 私の宣告によって大抵の患者は顔をしかめる。  冷静にそれを受け止めるモノ  周りも気にせず泣き崩れるモノ しかし、中には特別な反応もある。   歓喜だ 半年ほど前、体の不調を訴え診察にきた患者がいた。 どんな声をかけても反応は薄い、 生きる活力を失くしたような表情が印象的だった。 患者は末期の癌であり、私はその余命が3年である事を淡々と宣告すると しおれた花が、大きく花開くような満面の笑みが私に返ってきた。  『ありがとうございます。人生でやり残した事に余生を捧げる覚悟ができました。』 私は恐怖を感じた。 そう感じた理由はわからない、単なる直観だ。 彼女は抗がん治療を望んだが、入院は拒んだ。 やり残しとは何なのだろうか    娯楽 償い あるいは復讐 私は不謹慎ながらも興味を抱いた。
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