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外は帰宅途中の人間で溢れかえっている。  ラッシュは過ぎたはずだが、それでもこれだけの人間が今まで仕事をしていたのかと思えば、日本人が働き過ぎだと言われるのもよくわかる光景だ。  働き蜂のような働き方をするのが好きなわけではないが、それでもそうしなければ仕事が終わらないのだから仕方ない。それでも御門のいる会社はマシな方なのだろう。社員の殆どが定時で帰れるのだから。残っているのは残業のつかない役職付きか、よほど納期の差し迫っている部署の人間に限られる。社長が率先して定時帰りをしているので、その下で働く者たちは帰ることに罪悪感などない健康的な会社である。若い頃にいくつかの会社を転々とした経験のある御門だからこそ、それに気づいているともいえた。  そういえば、と御門は歩きながら思い出す。  後ろをついてきている歳下の男も、どこかの会社から移ってきたのだった。営業を希望していたというのだから、やはり前職も営業だったのだろうか。そう思って御門は歩く足を少し緩め、徹の隣に並んだ。 「転職してきたばかりだったよな? 前の会社では何をやってたんだ?」  正面を向いたまま御門がそう問いかければ、徹はちらりと視線を横へ流したあとにおずおずと口を開く。 「営業やってました。えーと医療機器関係の」  それに御門は驚いて思わず隣を歩く男の横顔をマジマジと見つめてしまう。すると徹の頰がわずかに赤くなり、照れたような顔をするのですぐに我に返って正面に向き直る。 「そっち方面なら給料も良かったんじゃないのか? なんで辞めたんだ?」  売り込む商品の値段が高ければ営業の給料も高くなる、と一概には言えないまでも、医療関係の営業は高給取りだという認識がある。給料の高さに見合わない何があったというのだろうか。そこが不思議だった御門の疑問に、徹は苦い笑みを浮かべながら答えた。 「えーと、まあ、上司と反りが合わず、ですね……」 「気に入らなくて手でも出したのか?」  冗談だったのだが、そのセリフに徹が黙り込んだので、御門は思わず足を止めてしまう。まさかという顔をして自分を見つめる御門に、徹は慌ててかぶりを振った。 「いや、手を上げたとかではないんですっ。その、ただですね、そのー事務の女の子が上司に迷惑してたんで、ちょっと注意というか止めたんですよ。そしたらかなり腹が立ったらしく、まあ、あれやこれやで居辛くなったというか……」  ぼそぼそと言いにくそうに話す徹に、御門はなるほどと頷いた。 「嫌がらせされたのか」  ハッキリと言ってやれば徹が曖昧に笑うので、御門はそれで確信する。知り合って間もないが、徹が自分の事で上司に楯突くようには見えなかったのだ。徹はおそらく唯々諾々と自分が我慢する方を選ぶような気がして、御門はまるで出来の悪い子を見るような気分になった。 「おまえ、上司だからって何でも頷いてんじゃないぞ? まさか今の所でもそうなんじゃないだろうな? 二宮課長は大人しくすればするだけ助長するタイプだ。出来ないことはちゃんと言え。無理なら誰かに助けてもらえ。黙って我慢するだけじゃ会社のためにもならないんだ。自分だけの問題じゃないんだぞ?」  御門がつけつけとそう諭すと徹は目を丸くする。そして御門がまったくと呟きながら息を吐くと、徹の顔にさも嬉しそうな表情が浮かんだ。それに気づいた御門は、ハッとなってバツが悪そうに眉を顰める。 「別におまえのためじゃないぞ。一人が我慢すると周囲まで我慢する羽目になるんだ。巻き込むなと言ってるだけーー」 「わかってます。でも」  言い訳するように続ける御門のセリフを遮り、徹が力強く頷いた。そしてそれでも、と笑うのだ。 「そんな風に言ってくれる人はいなかったので、嬉しいです。ーーありがとうございます」  頭を下げて礼を言われた御門は居た堪れずにパッと顔を背けると、止めていた足を動かす。そして数歩先へ行くと、まだ立ち止まったままの徹に向かって顔を向けた。 「そんなとこに突っ立ってると邪魔だ。さっさと来い」  睨みつけたつもりだったのに、声を掛けられた徹は嬉しそうな顔をしてパタパタと御門に追いつく。  再び二人で肩を並べて歩き出したが、今度はさっきまでのようなうじうじした空気が徹にはなく、その事で御門の方が居心地が悪くなってしまっていた。  別に徹を気に入ったというわけでもないのに、御門はどうしても言わずにいられなかった自分に嫌気が差す。日々気にかけてきた部下というのならまだしも、何故徹にお節介なことを言ってしまったのか。自己嫌悪に落ちようとするが、御門はいやいやとそんな自分を否定する。飼い犬のような空気をまとっている徹が悪いのだ。そうだ。きっとそうに違いない。と、自分に言い聞かせながら、御門はつきたくなる溜め息を飲み込んだのだった。
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