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「そうだねえ。そんなこともあったけ。飯沢君、よく覚えているね!」エルムは壁時計を気にしていた。「開店時間だけど、ちょっと遅くらせるから。せっかくだから、もう少しお話ししよ」 「いや、すぐ帰るよ。仕事のじゃまをして申し訳ない。でもあと、二、三分だけ」  本当はそんなわずかな時間で済む内容ではない。  エルムの晴れやかな表情は、逆に僕を咎めているようにも見えた。 「君に謝りたかったんだ。ずーっと何年も間あいだ、後悔してた」 「えー?、なにそれ。いじめられたっけ?」 「転校する何日か前に、空色の色鉛筆を交換したのを覚えてるかい?」  僕がたずねると、エルムは考えこむ顔つきになった。  え、無くしたの? 大した事ないじゃん。だって子供の頃だよ。あたしだって持ってないよ、きっと。  違う、違うんだ。  十一月の終わり頃、僕が帰宅すると、両親が深刻な顔で迎えた。  学区変更通達の封書が届いたのだという。新年度から新しい学区へ切り替わるため、現在の学校へは通えなくなるらしい。当時の僕は電車通学をしており、それが越境通学者になって認められなかったようだ。両親は、僕がエルムに意地悪をしたことをまだ怒っているらしく(本当はしていないのに)それを理由に転校するいい機会だとも言った。  けどな。  父親が珍しく柔和な態度になった。  お前の親しい友だちを招待してお別れ会をやろう。友だちはたくさんいるみたいだしな。それはいいことだ。大勢呼びなさい。母さんがご馳走つくってくれるぞ。  母親も微笑んでくれた。  転校することは悲しかったけれど、遠く離れてしまうわけでもないし、いつだってみんなと会えると思いこんでいた。  僕は友人たちに声をかけた。もちろん、エルムもだ。彼女を招待することを両親に告げると、すぐに顔をくもらせた。  なんだと? その子はだめだ。  え、だって。もう声をかけちゃったよ! 今さら断れないよ!  まだ、反省していないのか。だいいち、女の子を呼ぶなんてけしからん!男女七歳にして席を同じくせず! 「ありゃ、戦前の人間だな」僕は苦笑いした。「一人っ子だったから干渉が厳しくてさ」 「完璧な差別発言だね」エルムもおかしそうに笑った。「ああ、思い出したよ。駅で待ち合わせしてさ、飯沢君が迎えに来てくれて、みんなを連れていってくれることになってたんだよね」  その時だけ、僕は親に逆らおうとしていた。エルムを連れて行くつもりだったのだ。  約束の改札口にみんなが集合した。エルムもやって来た。  ごめん、あたし急に行けなくなっちゃった。  思いがけない言葉に、安堵とさみしさが一気に押し寄せて、なんて答えていいかわからずに黙っていると彼女は先を続けた。  
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