それは唐突に

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それは唐突に

相貌失認という症状がある。精神疾患の一種ということだ。僕にどうやらその症状がでているらしい。それも極端なものとして。通常の相貌失認であれば人の顔を見ても区別がつかない。声や体系、服装など顔以外の特徴によって特定は可能とのことだが、僕は違う。誰でも区別はつくのだ。たった一人を除いて。そのたった一人が僕の妻だという。思えば不可解なことはあった。電車の席、僕の隣はずっと空いているのに誰も座ろうとしない。ファミレスに行っても二人分コップが出てくる。近所の人に「あら、△קさん、おはようございます。」とまるで隣に誰かいるかのように声をかけられた。仕事から帰ってくると食事が用意されていたり、部屋が清掃されていたり、お風呂が沸いていたりと自分では覚えのない、気味が悪いことが起こっている。最初の頃、気味悪がって食事は食べなかったが、毒など特に入っていなさそうだし、美味しそうだったので、今は食べている。同僚は時々、妻のことを聞いてくるが、僕は決まって「俺、独身なんだけど」と真顔で答える。最初は同僚も「何言ってんの、冗談にならんよ」と言っていたが、僕が本当にそうだと言い張るとドン引いた顔をし、その件について何も触れなくなった。ある日、扶養関係書類の更新手続きがあるからと人事部に呼ばれ、例のごとく僕は、扶養者はいないと答えた。数分後、人事部長に呼び出される。以前提出した申請書類を提示され、そこには僕本人:舘岡正志、妻燈子と書かれていた。籍を入れて3年目になるらしい。当然部長から厳しい叱責を受け、どうやら僕には本当に妻というものが存在することを何とか受け止めた。そうすれば、帰宅して食事が準備されているとか掃除されているとかの辻褄が合う。部長も僕が真面目に妻がいないと思っていることを信じるようになり、「精神的な病気ではないか、一度病院に行くように」と薦めてくれた。つけ加え、これは職務命令だと。必ず行けということだ。
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