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「……優華」
不意に、普段より低い声で、彼が私の名前を囁いて――唇が優しく包み込まれた。
こんな、人目のある場所で大胆なことをする男性じゃないのに。
驚いて瞼を開いた拍子にポロポロと滴が溢れ、急いで瞳を伏せる。
長いキスだった。
混乱が収まってくると、再びピアノが耳に届く。
慟哭を呼び起こす悲しい旋律の筈なのに、震えかけた身体も、早鐘に変わりかけた心臓も、穏やかに凪いでいく。
「……出ようか?」
それでも何かを感じ取ったのか、彼はまた声を低くして訊ねてきた。
私は、小さく首を振る。
「大丈夫。貴方が隣に居るから」
きっと――この先も、ずっと。達哉を思い出しても。
彼が差し出した男物の大きなハンカチで濡れた頬を拭きながら、違う理由の涙が滲んでくるのを感じて、そっと目頭を押さえた。
ピアノは既に『星に願いを』を奏でていた。
【了】
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