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君が住む部屋の前で、毎日君の帰りを待つようになってからたくさんの時が過ぎたね。今では君がアパートの階段をのぼる、カツン、カツンっていう革靴の音だけで君が帰ってきたってわかるようになったよ。
おかえり、なんて一度も言ってあげられたことはないけれど。
君は帰ってきたときいつもわたしを撫でてくれたね。君の細くてしなやかな指に触れられる度、その温もりがわたしだけのものになればいいのに、なんて思っていたよ。
わたしの手は君を撫でてあげられないけれど。
ある日、君はわたしにご飯を作ってくれたね。誰かが作ってくれたご飯なんて初めてで、少ししょっぱかったけれど歩けなくなるくらいに食べてしまったよ。もっと望むことが許されるのなら、君を一緒に食べたかったな。
わたしは君とテーブルを囲むことはできないけれど。
ある日、君は今にも泣いてしまいそうな顔で帰ってきたことがあったね。何か嫌なことがあったのかな。君は何も言わずわたしを抱きしめたね。君が落ち込んでいるのに、初めて君に抱きしめられて浮かれてしまうわたしに嫌気がさしたよ。
あの時わたしは優しい言葉の一つもかけてあげられなかった。
ある日、とても寒い冬の日、君はわたしにふかふかのお布団をかけてくれたね。汗とタバコと薄らいだシャンプーの香りが染みついた君のお布団に包まっていると泣けてくるくらいに安心して、体中が満たされた気になったよ。
わたしは君にお布団をかけてあげられないけれど。
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