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神様に一つだけ願いを叶えてもらえるならあのひとの名前をわたしの記憶から消してほしい。
姿、声、楽しかったこと、ドキドキしたことは薄桃色の甘い思い出として覚えておきたい。でも、名前まで覚えていたらそれは途端にくっきりと形を為してわたしの全てをあのひとで埋めてしまう。
だから名前を忘れて記憶の奥底に埋めておきたい。
わたしを好きにならない、あのひと。
「つけこんでいいから、今すぐ来て」
さんざん泣いた後、うんと残酷な気持ちになって呼び出したのはわたしのことを好きだと言った2つ年下の男だった。
涼やかな目元が印象的な彼は現代的で、情熱的なあのひととはまとう空気がまるで違った。駅前のカフェでバイトしているときの同僚で、普段は口数が少ないのに、帰りが2人のときだけぽつぽつとだけどよく話し、時折小さく笑うのがとても珍しかった。
「普段もそれだけ話したり笑えばいいのに」
「感じいいですか?」
「うん、とても」
「好感度あがりました?」
「まあ、少し」
「ならよかった。必死で話したかいがありました。あと、好きな人の前だからよく笑うんです。一緒にいるだけでテンションあがるから」
ストレートに告白されたのなんてはじめてで多いに照れたけど、わたしはあのひとのことしか好きじゃなかったからすぐに断った。
「ごめん、好きなひといる」
「知ってます。先輩、そのひとの話しかしないから」
彼の温度の低い瞳を思い出して、あの日も雨が降っていたとぼんやり思い出した。今すぐ来て、と告げたわたしのひび割れたような声に電話越しの彼は一瞬息を飲んで「今どこ?」と言った。いつも彼はわたしに対して敬語だったと、そんなことを思い出した。
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