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再び、眠っていた生き物たちが目を覚ます季節がやってきた。 少女の暮らす小屋にもたれかかるように咲いた、山桜の白い花弁がひらひらと軒先に散り落ちる。 「……さて。此度はあやつ、何を撮りに来るのかな」 冬の湖に降りようとした男を止めて以来、彼は山に来たことはなかった。 会えない、顔を見られなかった間。少女はずっと考え続けた。 そうして、一つの結論に辿り着いた。 「---妖と人は結ばれぬ。ならばこれで十分幸せではないか」 時折、その姿を見せに来てくれるだけで。 綺麗な鏡を贈ってくれただけで。 あんなに醜かった姿の自分を、「女」として扱ってくれただけで。 恐ろしい見目の鬼女として生まれた自分に、こんなに温かな気持ちをくれただけで十分過ぎるほど幸せだ。 ずっと、そう思っていた。 ---その光景を目にするまでは。 今日はきっと彼に会える。 そんな心のざわめきを胸に、冬に行けなかった湖へ降りていった彼女が見たものは。 「誰だ……? あれは……?」 冬に崖崩れで通れなくなっていた道を迂回し、彼が時々水鳥たちを撮影していた場所。 そこには、2人の人間がいた。 1人は彼女が助けた男。 そしてもう1人は--- 明るい茶の髪がくるりと跳ねた、見惚れるほどに美しい女だった。 「、、、!!!」 咄嗟にしゃがみ込んで茂みに身を隠した。 男に気づかれないように見つめることには慣れている。 それでも目の前の景色から逃げずにはいられないほど、少女は動揺した。 深呼吸をしてから、もう一度湖を覗き見る。 キラキラと陽の光の反射する湖に、眩しいほど白い足をひたす女。 男はその姿を、夢中でカメラに収めているように見えた。 何度も、何度も。 あれは誰だ。 あれは誰だ。 「あれは、誰だ……?」 必死に己自身に問いかけながら、少女の心の奥ではもう答えは分かっていた。 あれはきっとあの男の想いびと、もしくは妻だろう。 仲睦まじく話す様子と、互いに交わす穏やかな笑顔。 遠くて声は聞こえなくとも、その全てが2人の親密さを物語っている。 「は……」 木の幹を背にズルズルと座り込んだ。 そして気がつくと、知らずに涙を流していた。 何を今更。 分かりきっていたことではないか。 人間の男と妖の自分。 ---ましてや山姥などが、恋仲になどなるはずがないことは。 「……だが。心とは、儘ならぬものだのう」 好きになってしまったら、もう理由や理屈などないのだ。 好きになる資格があるとか、一緒になれる可能性があるとか。無いとか。 そんなものは一切関係なく、どうしようもなく惹かれてしまうから「恋に落ちる」と言うのだ。 「山の妖の、山姥ごときが見たまやかしであったか」 ---彼女は急速に、己の身体が萎んでいくように感じた。
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