2人が本棚に入れています
本棚に追加
<10>
再び、眠っていた生き物たちが目を覚ます季節がやってきた。
少女の暮らす小屋にもたれかかるように咲いた、山桜の白い花弁がひらひらと軒先に散り落ちる。
「……さて。此度はあやつ、何を撮りに来るのかな」
冬の湖に降りようとした男を止めて以来、彼は山に来たことはなかった。
会えない、顔を見られなかった間。少女はずっと考え続けた。
そうして、一つの結論に辿り着いた。
「---妖と人は結ばれぬ。ならばこれで十分幸せではないか」
時折、その姿を見せに来てくれるだけで。
綺麗な鏡を贈ってくれただけで。
あんなに醜かった姿の自分を、「女」として扱ってくれただけで。
恐ろしい見目の鬼女として生まれた自分に、こんなに温かな気持ちをくれただけで十分過ぎるほど幸せだ。
ずっと、そう思っていた。
---その光景を目にするまでは。
今日はきっと彼に会える。
そんな心のざわめきを胸に、冬に行けなかった湖へ降りていった彼女が見たものは。
「誰だ……? あれは……?」
冬に崖崩れで通れなくなっていた道を迂回し、彼が時々水鳥たちを撮影していた場所。
そこには、2人の人間がいた。
1人は彼女が助けた男。
そしてもう1人は---
明るい茶の髪がくるりと跳ねた、見惚れるほどに美しい女だった。
「、、、!!!」
咄嗟にしゃがみ込んで茂みに身を隠した。
男に気づかれないように見つめることには慣れている。
それでも目の前の景色から逃げずにはいられないほど、少女は動揺した。
深呼吸をしてから、もう一度湖を覗き見る。
キラキラと陽の光の反射する湖に、眩しいほど白い足をひたす女。
男はその姿を、夢中でカメラに収めているように見えた。
何度も、何度も。
あれは誰だ。
あれは誰だ。
「あれは、誰だ……?」
必死に己自身に問いかけながら、少女の心の奥ではもう答えは分かっていた。
あれはきっとあの男の想いびと、もしくは妻だろう。
仲睦まじく話す様子と、互いに交わす穏やかな笑顔。
遠くて声は聞こえなくとも、その全てが2人の親密さを物語っている。
「は……」
木の幹を背にズルズルと座り込んだ。
そして気がつくと、知らずに涙を流していた。
何を今更。
分かりきっていたことではないか。
人間の男と妖の自分。
---ましてや山姥などが、恋仲になどなるはずがないことは。
「……だが。心とは、儘ならぬものだのう」
好きになってしまったら、もう理由や理屈などないのだ。
好きになる資格があるとか、一緒になれる可能性があるとか。無いとか。
そんなものは一切関係なく、どうしようもなく惹かれてしまうから「恋に落ちる」と言うのだ。
「山の妖の、山姥ごときが見たまやかしであったか」
---彼女は急速に、己の身体が萎んでいくように感じた。
最初のコメントを投稿しよう!