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<11>
数ヶ月の後。
残暑の厳しい、夏の終わりのことだった。
毎日のように晴天が続き、夕立が降ってもわずかの間。
山姥が使っていた沢の水量も減り、生活するのがやっとの水しか汲んで来られなくなった。
喉が、渇いた。
あの春の日以来、山姥は鏡を見なくなった。
毎日していた髪と肌の手入れもやめた。
その姿は、2年前にあの男と出会った時と全く同じに戻っていた。
「---魔法、というものだったのかのう」
人間の話で伝え聞いたことがある。
女は恋をすると、見違えるほど美しくなるのだと。
「ワシも、恋をしたから美しくなったのか。しかし、人間の娘と幸せに過ごす奴の姿を見て力を失ったのだろうな」
だから、己の姿は元に戻った。
醜い山の妖に戻って終わった。
「……もう一度、最後に奴の姿を見たいのう」
もう、どうせ叶わぬ夢だ。
だが、最後に思い出を作っておいても良いかもしれない。
しばらく前から、身体が上手く動かなくなっていた。
「人間より遥かに長い命を持つ身だが、急激に若返ったことにより、負担がかかったのかもしれないの」
……短い夢だった。
そして、この場所は彼に知られている。
何故なのだろうか。
会った時と変わらないはずの、老いた姿を彼に見られると考えると。
それだけは嫌だ、と恐れるようになった。
「……動けるうちに、静かに眠った方が良いのではないだろうか」
男のことが、好きだった。
叶わぬ恋だと知れた今、醜く戻った姿を再び見られるのはどうしても嫌だった。
「一度、仮初めの若さと美しさを得て、欲が出たかのう」
喉が、渇いた。
やけに喉が、渇いて渇いて。
好きなだけ水を飲みたいと思い始めた。
山姥はあの日以来、箪笥の中で大切にしまっておいた手鏡を取り出して懐に入れる。
そしてもはや戻ってくることはないであろう、己の生涯を過ごした山小屋を出た。
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