<15>

1/1
前へ
/23ページ
次へ

<15>

何を言われたのかよく分からなくて、山姥はぱちぱちと目を瞬かせた。 「……お主は、一体、何を」 「貴女は僕の命を救ってくださいました。あの時、貴女を好きになったんです。一目惚れって奴ですかね?」 「こんな老いぼれの、どこを好きになるというのじゃ!」 「……? 人間を好きになったことがおありで?」 「あるわけがないだろう」 「貴女が何を根拠に仰っているのかはわかりませんが。人間は姿だけで恋に落ちるわけではないです。そういう人もいますが、決してそれだけではありません」 男はきっぱりと言い切った。 山姥はムキになって言い返す。 「そんなわけがあるか! お主のように若くて美しい男が、わたしのように醜い老婆を好きになるわけがないわ」 「初めて助けていただいた時は、確かにお歳を召した姿ではありましたが。命の恩人である貴女は、僕には神々しいほど輝いて見えましたよ」 そう言って、含みも何もなくからからと笑う。 ……目眩が、する。 まるで狐に化かされているような気分だ。 ---人と、妖。 これではまるで、あべこべではないか。 「あの時から何度もこの山を訪れました。勿論、鳥や景色の写真を撮りに来ていたのは事実ですが。でも、ファインダー越しに見る景色の中で、僕はいつも貴女がいないか探していましたよ。一目でも会えれば、貴女のお姿を写真に収められれば」 「……それを人間に売れば、さぞ高く売れるのであろうな」 「何でそんなに人間不信なんですか? 山神様は人間が嫌いですか」 居住まいを正して尋ねてくる男の視線から、気まずくて顔をそらしてしまう。 「そういうわけでは、無いのだが……。ほんの稀に見かけた人間は、皆わたしを怖がって逃げたぞ」 この山は、古来より神域とされていると同時に、遭難の危険もある山なのだ。 この男が足を滑らせて落ちてしまったように。 無闇に人が立ち入らぬよう、怖がられて近寄らなくなるならそれでも良いと思っていたから。 「……やっぱり、貴女は優しい神様だ」 しみじみと呟いた男は、足元に寄せては返す小さな波をしばらく見つめていた。 そうして、この山の守り神である妖にもう一度向き直る。 「そんな優しい貴女が、どうしてあんなことをされたのです」 「あんなこと?」 「……湖に身を投げましたよね。偶然落ちたとは言わせませんよ」 思わず後ずさりしそうになった身体は、ピクリとも動かなかった。 男のがっしりした掌が、いつのまにか山姥の生白く細い腕をしっかりと掴んでいたから。 「な、、、」 「理由を教えてください。貴女がいなくなったら、この山はどうなってしまうのです。そして……そして僕は」 最早赤面を通り越して青くなっていそうな己の顔を、今にも泣き出しそうな瞳で見て。 男は言った。 「好きになってはならないお方だとは分かっていました。でも惚れた女性に目の前で死なれる者の痛みが、貴女に分かりますか?」
/23ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加