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「………、、、」 「気がついたか」 微かな呻き声と吐息の音に、囲炉裏で湯を沸かしていた山姥が顔を上げた。 「ここは……」 「ワシの家じゃ。死ななんだのは運が良かったの。あの崖から落ちて助かる人間はなかなかおらぬ」 「あなたが助けてくださったのですか」 よろりと、男は身体を起こした。 奇跡的に大した怪我も負っていなかったので、手当も簡単なもので済んだ。 「あなたは……この山の神様、ですか」 「何故そう思う」 「……とても神々しい」 神々しい? この醜い老いさらばえた姿が? 「……この山には古くから山の神が御坐すという伝説があります。わたしは足を滑らせて落ちる間際、咄嗟にその神様に祈りました。……本当に助けてくださったのですね」 そう言って深々と頭を下げる人間の男。 山姥は面食らった。 自分は本当は、山の神などではない。ただ古くからここに存在したがゆえに、妖力を貯めこんだ。 長く生き続けていたら、山の精霊や一部の人間たちからそう呼ばれるようになっただけの存在なのに。 「申し遅れました、自分はカヤマと申します。貴女様のお名前は……すみません、お尋ねしないほうがよいですかね」 「……そうじゃな」 自分はただの山姥だ。 そう言おうとしたが、別にわざわざ言うほどのことでもない。 ……神様に名前を尋ねるなど、畏れ多い。 男はそんなことを呟くと、徐ろに傍に置いておいた己の大きな荷袋に気づき、中を覗き込んだ。 「お主、動けるならさっさと山を降りて人の里へ帰れ。ここらはワシらの領域じゃ」 「……はい。神様の聖域を侵してしまい、申し訳ありませんでした」 深々と頭を下げ、再び荷袋をあさり始めた。 「何をしておる」 「ここを去る前に、せめて何かお礼をお渡ししたいと思いまして」 「人間の金など要らぬ」 「解っております。使い道がない」 男は笑いながら、ああ、あったと呟きながら平たい何かを取り出した。 そうして、それをこちらへ差し出してくる。 「どうか、これを受け取ってもらえませんか」 それは、美しい蒔絵の施された手鏡だった。 山に分け入る大男が持っているには、あまりにも不釣り合い。 「……なぜお主がこんなものを」 「母の形見でしてね。何処かの神社にお参りに行った時、近くで買ったお土産品だとか。山での安全を願って、守ってくれるよう持ち歩いていたのですが。それを叶えてくれた貴女に差し上げたいと思いまして」 「……そのようなもの、このなりのワシには不要じゃ。お主が大切にすれば良い」 「命の恩人にお礼も渡さず去るわけには参りません」 他にはプラスチックのコップや歯ブラシ、タオルくらいしか有りません。カメラはそれなりに価値のあるものですが、貴女様には使えないかと思いますし。 「カメラ?」 「目の前の景色を写し取る機械です。少し本格的な物を使っているので、貴女には扱えないかと。僕は写真を撮るのを生業にしているカメラマンなんです。特に、この山域にいる貴重な動植物、特に鳥を撮るのを専門にしていまして」 それで飯を食っているというわけです。 そう続けた男は、一拍置いてとんでもないことを言い出した。 「男の使った使い古しのガラクタを差し上げるわけには参りません。貴女は女性ですから。どうか、これを受け取っては貰えませんか。わたしからの感謝の気持ちです」 そう行って差し出された美しい手鏡を、山姥は困惑しながら受け取った。 恐る恐る覗き込んでみると、曇り1つなく歯磨かれた鏡は醜い己の姿を残酷なまでにくっきりと写した。 「見たところ、このお屋敷に鏡はない様子。仕舞い込まず、毎日使っていただければ嬉しいです」     
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