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朝起きると、ベッドの上には私独りだった。妻は先に起きて、息子の弁当でも作っているのだろう。
私は起き上がって、リビングに降りた。しかしそこには妻も息子もいない。
テーブルの上にメモが残っていて、先に試合会場に行っていると書き置きがあった。私はつい寝坊してしまったみたいだ。
急いで着替えをして、私は車で試合会場に向かった。そこは隣の中学校だった。天気予報は見事に当たっていて、雲ひとつない晴天である。その青空の下で息子が初先発をするというのは、何だか誇らしかった。
グランドでは既に試合が始まっているようで、プレーする子供たちの声が聞こえてくる。私はベンチに向かって、そしてチームメイトのお母さん達に挨拶をしようとする。
「こんにちは。ユウトの父です。」
保護者たちは私の顔を見て、何故か申し訳なさそうな顔をする。息子が怪我でもしたのだろうか。私は事情を聞こうとして、テントの中に入る。すると顧問らしき先生が私に向かって話を始めた。
「今朝、息子さんと奥さんがご蒸発されました。」
その教師は俯いたまま言った。
「え、何て?」
「息子さんと奥さんはご蒸発されたのです。」
私はベンチに立ち尽くす。子供たちの声が遠くに聞こえる。2人がいなくなっても、試合は続いていた。それもそうだろう。2人はただ蒸発したというだけなのだから。誰かが消えても世界はいつも通りに動く。それが"蒸発"のシステムの約束事だった。
「まさか...。」
しかし私は状況を全く理解出来なかった。蒸発しようとしていたのは私自身だったはずなのに、どうして妻と息子が消えなくてはならないのか。
しかし、答えは明らかだった。妻も息子もこの蒸発日和を楽しみに待っていたのだ。自らの意思によってのみ蒸発をすることが出来る...。
私はたった独りグラウンドに立ち尽くす。試合はとっくに終わって、いつの間にか誰もいなくなっていた。私は次第に妻のことも息子のことも忘れて、そして新しい生活を平然と送るようになるのだ。私は遂に独りになってしまった。それはまるで私自身が蒸発して消えてしまったかのようだ。
グラウンドの水溜りが青い空を映す。私は妻と息子の蒸発した、湿った空気を吸うことしか出来なかった...。
了
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