葬儀

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三鷹さんの葬儀は、埼玉県郊外の市営斎場で行われた。私は喪服に身を包んで、葬儀に出向いた。幸いなことに、私を知る会社の人間は誰も出席していないみたいだ。 私は香典を渡して、会場の末席に座った。坊主が仏壇の前で念仏を唱えている。しかしそこには棺桶らしきものは置いていない。蒸発したのだから、亡き骸がないのは当然なのだろう。 代わりに私は三鷹さんの顔を思い出そうとしたが、何故か頭に浮かんでこない。直接の会話はしたことがないとは言え、顔くらいは覚えているはずだったのに。私は確認の為に、仏壇に飾られているはずの遺影を探した。しかし、それらしいものは何処にもないようだった。亡き骸はともかくとして、遺影すらないというのはどういうこなのだろうか。これでは誰の為の葬儀なのか分からないではないか。 読経の中で、三鷹さんは戒名を与えられる。彼は"誠岳慈知信士"と名付けられた。それらの文字が適切に三鷹さんを表しているのかどうか、私には分からないが、ともかくこれで三鷹さんという存在はこの世から消え去ったのだ。 弔辞は三鷹さんの高校の恩師だという老人が務めた。老人は三鷹さんとの思い出話と、彼の人柄について良く語った。三鷹さんは高校生の時に山岳部に入っていて、顧問であった老先生と共に幾つもの山を登ったそうだ。三鷹さんの奥さんとの出会いや、今の会社での仕事など、老人は三鷹さんのほぼ全史と言って良いほどの事柄を知っていた。しかし、その老人が弔辞を読み上げると同時に、三鷹さんの特徴や性格が露と消えていくような気になる。まるで老人が三鷹さんの人生のビデオテープを一つづつ丁寧に消去していくような、そんな弔辞であった。そして老人の話が終わる頃には、私は三鷹さんという人間のなりを殆ど思い出せなくなっていた。多分、私だけではない、葬儀の出席者全員の頭から、三鷹さんは消えてなくなった。それはまさに理想の蒸発と言って良いものであるように私は感じた。 弔辞の後、私たちは順に焼香をする。しかし、それは誰に向けられたものなのだろうか。三鷹さんは抹香の煙ほどのカタチもなく、既にこの世から消え去ってしまったのだ。
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