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三鷹さんの葬儀の後、会社では彼の名前が挙がることはなくなった。会社だけではなく、彼の妻も、弔辞を読んだ老人も、誰も彼を思い出すことはない。彼はもとよりこの世に存在しなかったことになったのだ。どうやらそれが"蒸発"するということらしい。それは私の理想とする死に方であった。
私は"蒸発"について研究することに夢中になった。私以外の人が殆ど常識のように知り得ている事実を私だけ知らなかったというのは不思議だったが、時としてそういうこともあるのだろうと納得した。問題は、その"蒸発"の方法について、私はそれを知る術が殆ど無かったことである。インターネットにも、本にも、その方法は何処にも書かれていない。誰かに直接聞くことも憚られる。"蒸発"の方法は、人が息をするか、あるいは便を垂れるかの如く、自然と身に付けることのようなのである。だからこそ、いちいちその方法を何処かに書き記したり、話したりはしないのだ。
だから私は"蒸発"についての断片的な情報を組み合わせて、ようやくその全体像を把握するに至った。まず第一に、蒸発とはこの世から完全に消えてなくなることである。それはあらゆる種類の死とは異なり、そもそも存在しなかったことになるらしい。実際、三鷹さんの妻だった女性は他の男の人と結婚していて、それは彼女にとって初婚である。老人の山岳部の名簿には三鷹さんの名前は消えていた。会社の名簿はもちろん、三鷹さんの訃報を知らせてあのメールさえ、何処かに消えてしまっている。三鷹さんがこの世に生きていたんだという証拠は一切隠滅され、過去は全て書き換えられてしまう。私が三鷹さんの存在を辛うじて覚えているのは、多分私がその"蒸発"というシステムに未だに組み込まれていない為なのだろう。
第ニに、"蒸発"するには天候的な条件があるということである。雨が降って、そしてそれが太陽の光によって蒸発するような、そんな気候条件の下でのみ、蒸発という現象は起こる。ある意味それは一般の物理現象と同じである。OLたちが花見のランチで話をしていた蒸発日和というのは、どうやらそういうことらしい。
第三に、蒸発するには、蒸発する人間の意思が必要になるらしい。従って、その気もないのに事故的に蒸発してしまうというこは起こり得ない。蒸発することを決めた人間は、自らの意思によってこの世から消えてなくなることを承知しているのだ。
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