追憶

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 鳴りっぱなしだった着信が途切れる。ここは携帯も通じないところだ。  ふと外装が寂れたお店が視線に入る。  栄えているとは言えない喫茶店に入り、コーヒーを頼みマスターと他愛もない雑談に興じた。  気付くと常連客も周囲に集まり、幸知はネットの知識だけでしか知らない世界と出会った。  都会では当たり前にある店や娯楽施設がない、山脈に囲まれた鉱山街。 そこで働く人々の思想、人生に触れ、幸知は自分が逃げ出した理由も忘れ、話に没頭した。  中でも興味を引いたのは町外れにある『天使の囁き』と称される崖だった。  乗車する客は少なく、一両編成の電車で移動している時に事故は起きた。  脱線事故である。  幸いにも死者はおらず、幸知は意識不明の重傷で数ヶ月間、入院することになった。  行方不明になっていた人気女優が地図にも乗っていない田舎町の小さな病院にいる。  どこからか情報を聞いた新聞記者たちが病院へ殺到する。  意識を取り戻した時、幸知は助かった自分を生かした幸運の女神を心の底から憎んだ。  身動きできない幸知は最初こそ人目を気にしていたが、マンションにいた時同じように、死神に愚痴をこぼし始めた。  一度始めたら、もう止めることはできない。  幸知は今まで話せなかった想いの全てを死神にぶつける。  怒声交じりで小学校のテストのことから始まり、バドミントン部のこと。  本当は演劇部に入りたかったことや告白してきた俳優が全然好みじゃなかったことなど、語れることを全て話した。  誰もいない病室で独り言を話す幸知の姿は、事故の影響でおかしくなった噂された。  連日続いた記者たちも日が経つに連れ訪れる人数は減り、幸知が退院したニュースは新聞では小さく、ネットでも数行の記事で終わった。  事故が起きる前よりも、憂いがなくなった幸知は当初の目的地である場所へ向かった  天使の囁きと呼ばれる場所は、地平線の彼方から見える朝日が羽根のようにことから、地元の人たちに呼ばれるようになった。
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